エドガー・アラン・ポー【早すぎた埋葬】(7)

【 物理学300年の成果 】

このところ魔談はポーの短編小説「早すぎた埋葬」(1844年)冒頭に比喩として挙げられた5つの戦慄例を順に追ってきた。戦争、天災、疫病、虐殺。180年が経過した現代でも、人類は相変わらずこれらの苦難に直面している。天災と人災、あるいは(原発事故のように)天災と人災の同時発生。200年やそこらでは人類の悩みは一向に解決しないということだろうか。解決どころか戦争・虐殺の規模とその「皆殺し力」は、この180年の間に一気にその威力を増大させた。

つい先日、アカデミー賞で7部門獲得の栄誉に輝いた映画は「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)だった。原爆開発を指揮した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた映画である。この映画の前宣伝に、こんなシーンがあった。オッペンハイマーを前にしたある物理学者が涙声でこうつぶやいている。「物理学300年の成果が、大量破壊兵器なのか?」

話を最初に戻したい。短編小説の冒頭でこうした歴史的戦慄例を5件も例に挙げる理由(ポーの意図)はなにか。ポーは「普通の小説にするのにはあまりに恐ろしすぎる、というような題材がある」と書いている。小説の題材として使い物にならんと言ってるわけだが、では小説の題材として使い物になるのはどんな話なのか。

まだ生きているあいだに埋葬されたということは、疑いもなくかつてこの世の人間の運命の上に落ちてきた、これらの極度の苦痛のなかでも、もっとも恐ろしいものである。(原作)

というわけで「たくさんの人が死んだ事件」は使い物にならんが、「生きているあいだに埋葬された事件」は最も恐ろしく小説にもなるということなのだろう。映画「オッペンハイマー」にしても原爆炸裂のシーンはない。現存したオッペンハイマーが実際に見たもの、感じたこと、苦しんだことを追いかけている。

結局のところ「たくさんの人が死んだ事件」は我々にとっていまひとつピンとこないということなのだろう。それよりも「あなた、生きてるのに埋葬されたらどうします?」の方が絶対に怖いということなのだろう。

【 ボルティモア事件 】

さて「早すぎた埋葬」の次に進もう。
ポーはこの小説のリサーチというよりも、個人的な興味というべきか、(ほとんどもうトラウマ的な)最大恐怖というべきか、埋葬にまつわる奇談は特に熱心に調べていたようである。これは短編小説だが、(素性を明かさない)語り手は、まずは実際に発生した「早すぎた埋葬」事例をいくつか挙げることで、読者を戦慄させることから始まる。

ボルティモアという町は御存知だろうか。アメリカのメリーランド州にあり、古くから天然の良港として知られた町である。
「あまり古くはないころ」という極めて曖昧な表現だが、語り手はボルティモア近郊の町で実際に発生した奇怪な事件を語り始める。
順を追って見ていこう。

(1)名望ある一市民(著名の弁護士で国会議員)の妻が、不思議な病気にかかった。
(2)夫人は非常に苦しんでから死んだ、あるいは死んだと思われた。
(3)夫人はあらゆる普通の死の外観をすべて示していた。
・顔は落ちくぼんだ輪郭になった。
・唇は大理石のように蒼白かった。
・眼は光沢がなかった。
・温みはもう少しもなかった。
・脈搏はなかった。
・三日間その身体は埋葬されずに保存された。そのあいだに石のように硬くなった。
(4)死体が急速に腐爛するように想像されたので、葬儀は急いで行われた。
(5)夫人はその一家の墓舎に納められた。
(6)墓舎はそれから三年間開かれなかった。三年目に石棺を入れるために開かれた。
(7)夫が扉を開いたとたん、白装束の夫人の骸骨が彼の腕にがらがらと落ちかかった。

以下は当時の医師や警察や関係者が推測した内容

(1)夫人は埋葬後二日以内に生き返った。(理由は不明)
(2)夫人は棺のなかでもがいた。棺は棚から床へ落ちてこわれた。夫人は棺から出た。
(3)階段のいちばん上に、棺の大きな破片があった。
(当時の関係者の推測)夫人はこの破片で鉄の扉を叩いて、誰かの注意をひこうとした。
(4)力尽きた夫人はついに倒れた。白装束の一部が内側に突き出ていた鉄細工に絡まった。
(5)夫人はそのまま死んだ。立ったまま腐った。ついに白骨になった。

まさにポー一流の魔談というべきか。小説というよりはルポに近い淡々とした文章で、ポーはこの事件を語っている。読み手は一気に「現実味を帯びた」「まさに自分にも降りかかるかもしない」といった恐怖のスパイラルにひきづりこまれてしまうような気分に違いない。

【 つづく 】


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