誰かのために 第九話

とっても可愛いペンギンの水差しは大野和世さんの作品です。ありがとうございます。

【第九話】

「80年くらい前に、哲学者のカール・ポパーという人が、提唱した逆説です。彼は〝寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に寛容であってはならない〟と提唱したのです」

「不寛容を寛容しない。つまり認めない人を認めない」

「そうです。彼は〝もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される〟と述べたのです」

「……なるほど。確かにそうですね」

「ええ。社会が多様性を認め、受け入れていくことは、とても意義深いことだし、結果的に、それはあらゆる人々の幸福にもつながる行為だと思っています。だけど人間の中に、利己的な心や変化を忌避する気持ちがある限り、どこかで〝それはちょっと無理〟という瞬間が必ず訪れると思っています。それがどこにあるかは、本当に人によってまちまちなので、〝これはいいのに、なぜこれはダメなの?〟という不満が互いに生じて、その結果、人々は不信感で満たされていく。結局面倒になって、全てを諦めて何もかも飲み込むか、いっそ振り出しに戻そうとするのです。ならば決めてしまえばよい。許されるのはこのラインまでだ、と。ラインを越える人間に対しては、徹底的に認めず受け入れなくてよい、と」

「そのラインは、誰が、どこに、引けばいいのでしょう」

「町のルールなら、町民の代表者である町議たちが、きちんと議会で決めればよい。町民の誰かの基本的人権を奪うことになるものは、全て認めることはできない、と。〝不寛容には不寛容〟という大前提を盾に」

「うーん……」

「でもそれでも矛盾は生じています。誰かの基本的人権を守るためには、やはり不寛容にも寛容でなければならなくなるからです。対立する相手に対して不寛容を唱える人たちに、それは認められないと突っぱねる時、その人の権利は損なわれることになるかもしれません。だからこそ、ルールを決めるんです。話し合いで」

「話し合い……。この町の議員にそんなことができるでしょうか。この職に就いてまだ数週間ってところなんですが、既に何回か、議会を傍聴しました。正直、小学生の学級会よりもひどいです。彼らは、町民の代表と言いながら、自分の半径数メートルの範囲にいる、限りなく自分と同類の他者や、自分たちに利益をもたらす他者しか見ていない。こんな小さな町で、さほど広い世界じゃないのに、究めて局所的な部分しか見ようとしない。そんな人間に、〝あなたの知らない世界の、あなたの知り得ないある人のために、ルールを決めましょう〟と言っても、できるわけがない。だって、そのような人の存在を想像さえしていないのだから。誰とも知れぬ者の権利のための話し合いなど、できるはずがないんです」

「そうかもしれません。だからこそ、本当に多様性を貫こうとするのなら、いろんな人が議場にいることが不可欠なんです。よく〝みんなのため〟と言うけれど、みんなを同時に救うことなんて、誰にもできません。結局は、身の回りの人から順番に、なんです。そうやって少しずつ、半径を広げていくしかないって思うんです。それゆえに、自分のごく近い人だけが幸せになればいい、と守りに入る人ではなく、自分の枠を超えて、未知の種類の相手に対しても、少しずつ拡張できる人が必要です。〝この人が幸せになった。次はその先のあの人だ〟というように。それが、政治を司る人の、最も重要な適性なんだと思うのです。その時、多様性が世界を押し広げるのです」

「……うん、そう、かもしれません」

「先ほども申し上げたように、議会や町に多様性が得られなくて混乱してしまうくらいなら、私は、今はこの町でそれを無理に広げる必要はないと思っています。でも、この先の未来は違うかもしれない。グローバル化によって、この町にもたくさんの異文化が流入してくるかもしれない。価値観の多様化によって、ルーツは同じでも異なる考えを持つ人が出てくるかもしれない。今回の混乱は、ワクチン接種みたいなものだったのかもしれません。同質性の池の中で安穏と暮らしてきた人々に、少量の異物、ここではこれまでに想定したことのない考えですが、それを注入することによって、異質性への免疫がついた」

「だとしたら、想定以上に副反応が大きすぎましたね」

「ふふ。そうですね。同質性の中では、利他的利己主義は実現しやすいですが、あらゆる多様性を寛容した社会においては、実現困難になりますからね」

「ん? 利他的? 利己主義?」

「自分の利益よりも他者の利益を優先するのが利他主義、その逆が利己主義ですが、利他的利己主義とは、利己的な動機に基づいて利他的に振舞うことを指します。本当は自分のためなのに、さも相手のためにしている、というものです」

「ん? それは相手を欺く、ということでしょうか?」

「まあ、欺いていると言えばそうですね。でも、相手に利益を供与するという点で、相手にも利益はあります。例えば〝海老で鯛を釣る〟というのがありますが、あれなんかもそうです。本当に利己的なのであれば、海老とはいえ相手にあげたくはない。海老も鯛も欲しい。でも、鯛を取るために海老を差し出すのです。海老という利益を他者に振舞う。もしかしたら、海老を取られたまま、鯛は返ってこないかもしれない。鯛どころか海老さえ失うかもしれない。欺いたつもりで裏切られるかもしれない。でも差し出すのです。鯛が返ってくることを期待して」

「うーん。確かに、騙して搾取するというのとは違いますね」

「実際、ビジネスの世界では、よくある手法ですよね。試供品を提供して買ってもらうとか、初回だけタダにしてその後の年間契約でガツンと支払ってもらうとか」

「ああ。……でも、渡して返って来なかったら、ただの損ですね」

「そうです。だから、〝この人は返してくれる〟という信頼のようなものが必要なのです。人は、自分と似ている相手なら、そう大きく裏切ることはないだろうと思いがちです。でも、自分とは相容れない相手にはその期待が持てない。そもそも違うからです。この町のモラルが守られてきたのは、似た者同士の町だったからです。本当は異なっていたとしても。同じであることに対する圧力が、人々に、相手の期待を裏切って異なることをする欲望を抑えていたから。ところが、際限なく多様性を寛容してしまった結果、期待なんて裏切ってもいいんじゃないか、人と違ってもいいんじゃないかという思いが解き放たれてしまった。そしてこの町に、利己的な悪意が溢れた」

「利他的利己主義が実現するには、同質性が必要、だと」

「そうです。別に同じである必要はありませんが、同じであるほうが実現しやすい」

梅木浩子は、何度も小さく頷いた。小田原泉はなおも続けた。

「で、思いやりポイントなのですが……」

「はい」

「誰かをちょっと幸せにする行為によって見返りが戻って来る、ということを、より短いスパンでわかりやすく形にしているという意味で、決して悪い施策ではないと思うのです。実は、先ほど申し上げた、利他的利己主義の対になる概念として、利己的利他主義というものもあります」

【第十話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

多様性を認めること、寛容のための不寛容、利他的利己主義に利己的利他主義。ちょっと難しいお話になってきましたが、コミュニティ心理学を研究する小田原泉の本領発揮です。柏の宮町の不穏な空気と「おもいやりポイント」に、彼女の考察がどう関わってくるのか、乞うご期待!

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