【第十二話】
山本善子の夫、山本正義は、柏の宮町役場の政策推進課で経営戦略係の係長をしていた。
なんとなく善子と雰囲気が似ていて、いかにも真面目そうな、人の良さそうな男だった。
「先日はお電話いただきまして、ありがとうございました。また、今日は、お忙しい中、ご足労いただきましてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ電話が繋がらず、却ってお手数をおかけしちゃって」
「いやいや。こちらがお願いしている立場ですので。では、梅木のところにご案内します」
そう言って、山本正義は、役場の3階の一番奥にある、小さな会議室に小田原泉を案内した。まだそこには人がおらず、そこでしばらく待っていると、コツコツというヒールの音が次第に近づいてきて、大きく扉が開いた。
「お待たせして、すみません!」
梅木浩子だった。額には少し汗を浮かべていた。
「お久しぶりです。今日はお忙しいところ、ありがとうございます」
「お久しぶりです。なんだか、お電話いただいていたようで。研究室に行ってなくて、気づきませんでした。失礼しました」
「いえいえ。こちらこそ、却ってお手数をおかけしちゃって」
「でも、電話が繋がらなかったら、メールでお知らせ頂ければよかったのに」
「すみません。……実は、メールではちょっとご相談できない用件でして」
「……メールではダメな内容?」
「はい」
「なんだろう? ちょっと怖いです」
「ふふ。そうなんです。ちょっと怖い案件でして」
「あはは」
小田原泉は軽口のつもりで放った一言だったが、梅木浩子の表情から、思いのほか、それは軽くはないことがわかった。小田原泉の顔から笑みが消えた。
ちょうどそこに、職員がお茶を運んできた。
「失礼します。お茶を……」
梅木浩子はダッと立ち上がり、扉のそばまで行き、職員が持ってきたお茶をお盆ごと受け取り、
「あ、ここはもういいから。ありがとう。終わったら私が運んでいきます」
と言って、職員を追い返した。
その様子を見て、小田原泉は、これから聞く話が人にあまり聞かれたくない話なのだと悟った。
梅木浩子は、職員の姿が見えなくなるのを見届けてからようやく扉を閉め、
「お茶どうぞ」
と言いながら、ロの字型に配置された、机の短いほうの辺にそれを置き、
「こちらへ」
と言って、自分のすぐ隣に小田原泉が座るよう促した。
小田原泉は、逃れられないしがらみに絡めとられる感覚を覚えつつ、色だけがうっすらついた、温くて味のしないお茶を口に含んだ。
「実は、ちょっと厄介なことになってまして……」
「……はい」
小田原泉が覚悟を決め、手にした湯飲みを茶托にトンと置いたその小さな音をきっかけに、梅木浩子は、堰を切ったように話し出した。
小田原泉による助言の効果もあって、例の休止していた思いやりアプリは、新年度に本格再開されることになった。
梅木や竹林、柏の宮町の役人たちは、多様性の無制限寛容による暮らしやすさやイメージの悪化を改善し、自分たちの町がいかに人に優しい町であるかを売り込むために、改良した思いやりアプリをもっと盛大にアピールしようとした。
元々、柏の宮町には、林檎農家が多く、比較的様々な品種の林檎を栽培していた。
昨今のゆるキャラブームに乗っかり、思いやりアプリでポイントとして具現化される〝おもいやりんご〟を現実の林檎に重ねてキャラクター化し、関連グッズを製作販売すれば、町の収益にもなると考えた。
そのためには、インターネット上の販売に留まらず、実際の店舗も必要だ。
今ある道の駅を整備し、そこを拠点に町の外から観光客を呼び寄せ、そして願わくばこの町に移住してもらおうと目論んだ。
新たに作る施設は、特に、移住による町のメリットが比較的高い、若者を引き寄せるような洒落たデザインの建物にする必要があった。
そこで町は、樹の魔術師と称される、ある著名な建築家に設計を依頼し、道の駅を建て替えることにした。
建築家は、町の要望を受け、単なる道の駅という商業施設に留まらない、ヨガなどの運動系もでき、子どもたちの食育のための料理教室もできるような多目的なスタジオ、図書館、保育所、宿泊施設を併設する複合施設の提案を試みた。
「それがねえ、もう、本当に素晴らしくって。私たちみんな、魅了されちゃって」
梅木浩子がうっとりと回想しながら言う。
「……でもねえ、高いの。設計料だけでも予算オーバー。はは」
必ずしも高いものが素敵なものである保証はないけれど、概ねものの良さは価格に反映する。
素敵なものが高額であるのは世の常なのだが、そして、その金額を支払えない者はそれを手にすることができないのも世の常なのだが、そのことを人がなかなか諦められないのも世の常だ。
「何とかして、あれを建てたい。もうねえ、竹林さんなんて、建てる気でいるからね。先走っちゃって、竣工式のスピーチ原稿考えたりして。普段は全部人任せなのにね、これは僕が書くって言って」
「すごいですね。絵に描いた餅を喉に詰まらせる、みたいな」
「あはははは。相変わらず、うまいこと言いますよね、先生。ホント、ホント。あんなの建てたら、完成前に財政破綻で町ごとドボン、です」
梅木浩子は、天を仰ぎ少し考えこんでから、俯き、眼を閉じて小刻みに何度も頷いた後、顔を上げて小田原泉を見た。
「……ところがね、もしかしたらできるかもしれない、ってことになって」
「へえ……」
「ある業者から、このプロジェクトに多額の寄付をしたいという申し出があって」
「それはよかったじゃないですか。って……ん? でも、その建設の話とか資金難の話とか、公になっている話なんですか? 私が町政に詳しくないから知らないだけ?」
「いいえ。今はまだごく一部の関係者しか知らない話です」
「ですよね。じゃあ、なぜ、その業者は知っていたのでしょう?」
「それも問題なんですよね。たぶんメンバーの中から情報が漏れたと思うんだけど。でもね、もっと問題があるんです……」
梅木浩子は、深いため息を一つ吐いた。
【第十三話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
悪化したイメージを挽回するべく立てた計画、待ち受ける困難、「絵に描いた餅を喉に詰まらせる」町長、そこへ、ものすごく怪しい支援の手……。すでに何か起こる気しかしないところに、梅木浩子が明かすもっと大きな問題とは!? 次回をどうぞ、お楽しみに。
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