別訳【夢中問答集】第三問 まずは性根を入れかえろ! 1/2話

足利直義:しかし和尚、みなの目的はつまるところ「幸せになる」ことです。

そしてその目的を実現するために、あれこれと手段を講じて努力しているわけなのですが、その追求の仕方に良し悪しがあるとおっしゃるのですか?

夢窓国師:結果をもたらす原因となるものを、我らは「業(ごう)」と呼んでおる。つまり、目的を追求して実施する行為は、ことごとく「業」なのじゃ。日常でもよく言うじゃろう? 「作業する」と。

「業」を作れば、その延長線上に必ずなんらかの「果実」が結ばれるのじゃ。「よい業」を作れば「よい結果」、「悪い業」を作れば「悪い結果」がもたらされる。

それでは「よい結果」につながりそうな作業をすればよいということになるのじゃが、ここに大きな落とし穴がある。

まず、「金持ちになりたい」とか「強大な権力を握りたい」とかいうたぐいの俗物根性にとらわれながら実施する行為は、いかに体裁よく飾りつけたところで、ことごとく「悪い作業」となる。

逆にそういう根性を持たないで実施する行為は、ことごとく「よい作業」となるのじゃ。
行為・作業そのものに良し悪しがあるのではない。実施する者の根性に、良し悪しがあるのじゃ。

仏教では、これを次の四つに分類しておる。

  1.  ただ「悪い根性」だけ。これは単なるバカモノや外道のことじゃな。
  2.  ただ「よい根性」だけ。これは自分ひとりの幸せだけを願う者のことじゃ。
  3.  時と場合に応じて「よい根性」だったり「悪い根性」だったりする。これは他人を救うことにしか興味がない者のことじゃ。
  4. 四、 「よい根性」でもなく「悪い根性」でもない。これこそが「仏」の心じゃ!

そして、ズバリ「良し悪し」ということで分けるなら、バカモノや外道だけでなく、菩薩を含む最初の三つは全て「悪」なのじゃ。

「自分ひとりの幸せだけを願う者」とは、つまり「言われたことを忠実に実行するだけ」、または「誰の言うことにも耳を貸さない」という二つのやり方をする者たちのことなのじゃが、こいつらは「金や権力には興味がない」などといったところで、結局のところ「死にたくない! でも、生きているのも面倒くさい!」とか、「どこか遠くにあるパラダイスに生まれ変わりたい!」とか考えるばっかりじゃ。

「他人を救うことにしか興味がない者」は、「自我」への執着がないだけまだマシなのじゃが、それでもまだ物事をあれこれといじりまわす心が残っておるので究極のところではない。
それら全てが消滅した状態で実施するのでなければ、結局のところ悪い結果しか生まれないのじゃ!

―――――つづく


☆     ☆     ☆     ☆

紙書籍版『別訳【碧巌録】(上)』が発売されました!
「宗門第一の書」と称される禅宗の語録・公案集である「碧巌録」の世界を直接体験できるよう平易な現代語を使い大胆に構成を組み替えた初心者必読の超訳版です。

別訳【碧巌録】(上)文野潤也

Amazonで見る

電子書籍化 第2弾!『別訳 無門関 Kindle版』(定価280円)が発売されました。公案集の代名詞ともいうべき名作を超読みやすい現代語訳で!

『別訳無門関 好雪文庫』文野潤也

Amazonで見る

第1弾の『別訳 アングリマーラ Kindle版』(定価250円)も好評発売中です。

<アングリマーラ第1話へ>

『別訳アングリマーラ 好雪文庫』文野潤也

Amazonで見る

スポンサーリンク

フォローする