【善財くんがゆく!】第十話 善財くん、炎へ飛び込めと言われる:第四の善知識・勝熱バラモン (3)

勝熱バラモンは、
静かに笑った。

「うむ」

それだけだった。

責めもしない。

怒りもしない。

ただ、
当然のように受け止めた。

善財は、
刀山を見上げる。

喉が渇く。

足が震える。

だが。

一歩、
前へ出た。

刃の山へ、
足をかける。

「っ……!」

鋭い痛みを覚悟する。

だが。

不思議なことに、
刃は善財の足を傷つけなかった。

善財は目を見開く。

さらに進む。

一歩。

また一歩。

熱風が吹き荒れる。

炎が唸る。

だが。

進むほどに、
妙な感覚が広がっていった。

恐怖が、
少しずつ薄れていく。

代わりに、
胸の奥が静かになっていく。

善財は呆然と呟く。

「……何だ、
これ……」

勝熱バラモンの声が響く。

「進め!!」

善財は顔を上げた。

そして――

燃え盛る炎へ、
飛び込んだ。

炎が、
善財の視界を埋め尽くした。

轟音。

灼熱。

世界そのものが燃えているかのようだった。

善財は思わず目を閉じる。

(熱い――!!)

そう思った。

だが。

次の瞬間。

「……あれ?」

熱くない。

善財はゆっくり目を開く。

炎の中だった。

確かに、
巨大な炎に包まれている。

なのに。

苦しくない。

痛くない。

それどころか。

妙に静かだった。

善財は呆然と周囲を見る。

炎が揺れている。

だがその炎は、
先ほどまでの恐ろしい業火には見えなかった。

むしろ。

巨大な光の流れのようだった。

金色。

赤。

白。

無数の光が、
渦を巻きながら巡っている。

善財は、
ゆっくり手を伸ばした。

炎へ触れる。

熱くない。

それどころか。

全身の力が、
ふっと抜けていくようだった。

善財は息を呑む。

「何だ……
これ……」

すると。

炎の奥から、
声が響いた。

勝熱バラモンだった。

「見えるか」

善財は周囲を見回す。

その瞬間。

世界が変わった。

無数の景色が、
炎の中へ浮かび上がる。

怒る人。

争う人。

泣く人。

怯える人。

自分を守ろうとする人。

誰かを見下す人。

逆に、
自分を責め続ける人。

その全部が、
炎の中で揺れていた。

善財は息を呑む。

そして気づく。

そこに。

自分自身もいた。

「……!」

善財は立ち尽くす。

炎の中の善財は、
何かを必死に守っていた。

傷つきたくない。

負けたくない。

認められたい。

間違いたくない。

そんな思いを抱え込みながら、
必死に身構えている。

勝熱バラモンの声が響く。

「それが、
おぬしの執着よ」

炎が揺れる。

「皆、
自分を守ろうとする」

光が巡る。

「だから苦しむ」

善財は、
炎の中の自分を見つめていた。

すると。

その姿が、
少しずつ崩れ始める。

怒り。

恐れ。

見栄。

焦り。

それらが炎の中で、
静かに燃えていく。

善財は、
不思議と恐怖を感じなかった。

むしろ。

長い間、
肩に乗っていた重荷が、
少しずつ消えていくようだった。

善財は、
静かに呟く。

「……楽だ」

その瞬間。

炎が、
一気に光へ変わった。

轟音が消える。

熱も消える。

世界が、
静寂へ沈んでいく。

善財は、
ただ光の中に浮かんでいた。

何も怖くなかった。

何も足りなくなかった。

ただ。

静かだった。

善財は、
どれほどそこにいたのか分からなかった。

時間の感覚が、
消えていた。

光だけがある。

静けさだけがある。

だが。

それは、
“何も無い”という感覚ではなかった。

むしろ逆だった。

すべてが、
そこにあった。

風。

空。

海。

山。

人々。

鳥。

雲。

炎。

笑い。

涙。

怒り。

祈り。

世界そのものが、
静かな光の中へ溶け込んでいた。

善財は、
その中心で漂っていた。

いや。

中心ですらなかった。

境界が、
無くなっていた。

自分と世界の区別が、
静かに溶けていた。

善財は、
ふと気づく。

(ああ……)

勝熱バラモンが、
焼こうとしていたもの。

それは。

“自分”ではなかった。

“自分だけを守ろうとする心”だったのだ。

その瞬間。

善財の胸の奥で、
何かが静かにほどけた。

涙が流れる。

だが悲しくはなかった。

善財は、
ただ静かに泣いていた。

すると。

遠くから、
声が聞こえた。

「戻ってこい」

勝熱バラモンの声だった。

光が揺れる。

世界が、
再び形を取り戻し始める。

炎。

熱風。

刀山。

空。

そして。

巨大な炎の前に立つ、
勝熱バラモンの姿。

善財は、
気づけば炎の外へ立っていた。

だが。

世界が、
少し違って見えた。

熱風は吹いている。

炎も燃えている。

なのに。

先ほどまで感じていた
恐怖が、
ほとんど残っていない。

勝熱バラモンは、
善財をじっと見つめていた。

そして。

静かに頷く。

「見たな」

善財は、
しばらく言葉が出なかった。

やがて、
小さく答える。

「……はい」

勝熱バラモンは笑う。

先ほどまでの豪快な笑いではない。

どこか、
穏やかな笑みだった。

「これを、
“無尽輪”という」


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