善財は固まった。
数秒後。
「……はい?」
勝熱バラモンは笑う。
「飛び込めと言ったのだ!!」
「いやいやいや!!」
善財は全力で首を振った。
「死にますよね!?」
「死なん!!」
「絶対死ぬやつですよね!?」
勝熱バラモンは豪快に笑う。
「はっはっは!!
皆そう言う!!」
善財は刀山を見た。
無理である。
どう見ても無理だった。
刃は鋭利だし、
炎は巨大だし、
そもそも熱風だけで危険だった。
善財は後退る。
「いや……
これはちょっと……」
勝熱バラモンは首をかしげた。
「何を恐れる」
「いや全部ですけど!?」
勝熱バラモンは、
少し不思議そうな顔をした。
「善住のところから来たのじゃろ?」
「来ましたけど!?」
「ならば、
境界を越えることの意味も、
少しは分かったはず」
善財は一瞬黙る。
だが。
「それとこれとは別です!!」
勝熱バラモンは、
しばらく善財を見つめていた。
そして。
静かに言った。
「……まだ、
自分を守ろうとしておるな」
善財は息を呑む。
その瞬間。
炎の熱とは別の何かが、
胸へ刺さった気がした。
だが次の瞬間。
理性が全力で叫ぶ。
(いやいやいや!!)
無理だ。
これは無理である。
善財は後退った。
さらに後退る。
「すみません!!」
勝熱バラモンは黙っている。
善財は半泣きだった。
「これ、
絶対仏教じゃないですよね!?」
炎が唸る。
刀山が赤く光る。
善財は叫んだ。
「こんなの、
どう考えても悪魔とかそっち系でしょう!!」

その瞬間だった。
空が、
震えた。
空気が揺らぐ。
熱風が渦を巻く。
そして。
空の遥か上から、
声が響いた。
「逃げるな、善財童子」
善財は飛び上がる。
「うわっ!?」
空を見上げる。
そこには。
巨大な光の人影が浮かんでいた。
黄金色の衣。
静かな光輪。
人間とは思えぬほど穏やかな顔。
善財は目を見開く。
「誰ですか!?」
光の人影は、
静かに答えた。
「我は梵天」
その瞬間。
周囲の空気が変わった。
空そのものが、
厳かな響きを帯びる。
善財は息を呑んだ。
(なんか……
めちゃくちゃ偉そうなの来た……)
梵天は、
そんな善財を見下ろしながら言った。
「だが、
お前の恐れは理解できる」
善財は少しだけ安心した。
分かってくれる人がいた。
しかし。
次の言葉で、
その希望は砕け散った。
「我らも、
最初は同じだった」
「え?」
梵天は静かに続ける。
「かつて我らは、
自らこそ宇宙で最も尊い存在だと思っていた」
善財は瞬きをする。
「いや……
実際かなり偉いんじゃ……」
「思い上がりだ」
梵天は即答した。
善財は黙る。
梵天の背後で、
無数の光が現れ始めていた。
天人。
神々。
様々な姿の存在たち。
空を埋め尽くすほどの数だった。
その中の一柱が、
静かに口を開く。
「我もまた、
勝熱の炎に焼かれた」
別の声。
「我も」
さらに別の声。
「我らもまた――」
その瞬間。
空のあらゆる方向から、
声が響き始めた。
「我も」
「我らも」
「皆、
あの炎を恐れた」
「悪魔だと思った」
「逃げ出そうとした」
善財は呆然としていた。
声はさらに増えていく。
天。
風。
雲。
山。
炎。
世界そのものが、
語り始めたかのようだった。
すると。
黒い影が、
空の一角に現れる。
巨大な翼。
鋭い眼。
恐ろしい気配。
善財は思わず後退った。
「うわっ!?」
だがその存在も、
静かに言った。
「我もまた、
勝熱に焼かれた」
善財は固まる。
「えっ」
「我は魔王」
「魔王!?」
善財は叫んだ。
魔王は静かに頷く。
「かつて我は、
己こそ世界の中心だと思っていた」
炎が揺れる。
「だが、
勝熱の炎は、
その傲慢を焼き払った」
さらに。
空の下方で、
巨大な龍が現れる。
善住比丘の時に見たものより、
さらに巨大だった。
龍王である。
その龍もまた、
静かに言う。
「我もまた、
あの炎に飛び込んだ」
善財はもう訳が分からなかった。
神も。
魔王も。
龍王も。
全員、
焼かれていた。
勝熱バラモンは、
炎の前で腕を組んだまま、
静かに立っている。
その姿は、
先ほどまでより遥かに大きく見えた。
善財は、
喉を鳴らした。
(何なんだ……
この人……)
熱風が吹き荒れる。
炎はなおも、
轟々と燃え続けていた。
だが先ほどまでと違い、
善財には、
その炎が少しだけ違って見え始めていた。
恐ろしい。
それは変わらない。
だが。
ただ“破壊するための炎”では、
ないのかもしれない。
善財は、
ゆっくり勝熱バラモンを見る。
勝熱バラモンは、
黙って善財を見返していた。
先ほどのような威圧感は、
不思議と少し薄れている。
いや。
違う。
善財の方が、
少しだけ落ち着いたのだ。
梵天が静かに言った。
「善財童子」
善財は空を見上げる。
「お前は今、
“自分が壊れる”ことを恐れている」
善財は言葉に詰まった。
図星だった。
梵天は続ける。
「我らもそうだった」
空に浮かぶ無数の存在たちが、
静かに頷く。
「神である自分」
「魔王である自分」
「強者である自分」
「正しい者である自分」
「特別である自分」
声が重なる。
「その姿へ執着していた」
熱風が吹く。
「だから、
炎を恐れた」
善財は、
刀山を見つめた。
鋭い刃。
燃え盛る炎。
本能が叫ぶ。
逃げろ、と。
だが。
善財は思い出していた。
徳雲比丘。
海雲比丘。
善住比丘。
皆、
少しずつ同じことを言っていた。
世界は広い。
繋がっている。
境界は無い。
ならば――
“自分だけを守る壁”も、
本当は存在しないのかもしれない。
善財は、
ゆっくり息を吸った。
怖い。
今でも怖い。
だが。
それ以上に。
ここで逃げたら、
一生分からない気がした。
善財は、
勝熱バラモンへ向き直る。
そして深く頭を下げた。
「……疑って、
すみませんでした」

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