あの夜、ソールと再会してからというものの、アセナはソールの事が忘れられなくなりました。
アセナは仲間のオオカミに見つからぬよう、こっそりと集落を抜け出してソールと密会を重ねるようになりました。
――しかし密会とは言っても、互いに軍事境界線からは出られないので、軍事境界線となっている壁越しで話をするぐらいです。
初め、アセナはこの戦を終わらせられないか色々と考えていたのですが、次第に自分が置かれる状況に腹だたしさを感じてきました。
『この戦は、そもそも大人達が勝手に始めたんだ !どうして僕らが、それに巻き込まれなきゃいけない ? 』
オオカミ族と羊族は、双方に多くの犠牲者が出ていたので、もう互いに引くに引けなくなっていました。きっと、この休戦もやがては終わり、再び戦が始まるでしょう。
アセナは戦を終結させるのは、すでに諦めていました。
もう今となっては、ひっそりとソールに会う事のみが唯一の生きがいなのです。
その晩も羊村を囲う壁まで行きソールと会うつもりでした――アセナはある決心を胸にしています。
アセナはソールを連れ出し、どこか遠くへ逃げようと考えているのです。
――オオカミ族指導者ミハリは、この所、息子のアセナの様子がおかしいのに気づいていました。
普段であれば、アセナは軍事演習に出た後は、自分のゲルに閉じこもり遺跡や言い伝えの研究をするのですが、ここしばらく、どこかへ出て行くのが多くなったのです。
アセナ自身は『狩りに行ってきます』とは言っているのですが、それはミハリには信じられません。
今宵もアセナは弓矢を担ぎ、山へと入っていきました。
その後ろ姿を目で追っていると、オオカミ軍司令官フェンリルがミハリに話しかけてきました。
「……アセナはこの所、軍事演習に身が入りませんな。彼ほどの狩りの腕前であれば、よき軍狼となりましょうに」
ミハリは振り返り、灰色たてがみのフェンリルを見ます。
――ショーンの娘を暗殺しようとしたのは、フェンリルであろうとミハリには分かっていましたが、しかし証拠は何も見つかりませんでした。
その暗殺未遂のおかげで、オオカミ族と羊族の戦争が始まったのです。
なるべく、疑いの気配を相手に悟られぬよう、ショーンは言います。
「いつも倅が世話になっている。ところで、いつまで待ってもジャッカル共和国の援軍が来ぬようだが、何故なのか分かるかね ? 次に羊軍が我らを攻撃すれば、敗北も覚悟をせねばならんぞ」
さっきまで微かにニヤついていたフェンリルが、真顔になりました。――きっと考え事をしている時のクセでしょう、フェンリルは大きな耳をせわしなく動かしました。
「……どこの誰かは分からんが、ジャッカル共和国へ妙な噂を伝えた者がいるようだ。我らオオカミ族は本当はオオカミではない、とね。その噂を聞き、ジャッカル共和国は軍を出すのを保留している。しかし心配するな、我らオオカミは優れた戦士だ。たとえ、武器で劣っていようと、我らはこの戦で必ず勝つだろう。オオカミ族の誇りにかけて、我らは決して敵にはひれ伏さぬ」
しかしフェンリルの話を聞きながら、援軍が来ないようならオオカミ族は滅ぼされる、とミハリは思っていました。
――いかにオオカミが優れた戦士であろうと、銃や大砲などの近代兵器にはかなわない、そう確信していたのです。
「ところでミハリよ……」フェンリルは再び、ニヤついた顔に戻りました。
そして金色にギラつく目をミハリに向け言いました。
「アセナは、どうやら敵の娘と通じているようだぞ。もしやアセナは、我らの軍事機密を敵に渡しているのかもしれん。―――数夜前、俺はアセナを尾行して、その現場を見ているのだ。
もし、我らを裏切っているようならば、たとえお前の倅だろうと、極刑は免れぬだろう……。
その行いは我ら『オオカミの誓い』に反するのだからな」
――――つづく
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