オオカミになった羊(後編14)

羊歴1420年、第四の月、羊村と少数部族のオオカミ族との間で戦が始まった、とその歴史書には小さく記されています。
辺境での出来事だったものですから、何故戦へと至ったのかは、歴史書では詳しくは記されていません。
結局の所、当時起こった事を誰かが正確に記さないかぎりは、その歴史は存在しないも同然なのでしょう。オオカミ族は当時、文字を書く文化がなかったので、オオカミ族からの視点は歴史書では省かれています。
歴史書は羊の公用語であるメリナ語で書かれているので、必然的に羊から見た歴史観に傾いてしまいます。

――年表によれば、羊歴1420年にヴィーグリーズの谷で始まった小競り合いが本格的な戦へと発展しました。どちらに非があったのか、どちらかが一方的に開戦をしたのかは、もはや誰にも分かりません。
羊村は強大な軍事力を誇るメリナ王国から武器供給を受けていました。
一方、オオカミ族は勇敢で戦闘力が優れているのに、原始的な武器しか所有していなかったそうです。
本来、オオカミ族は同族血筋であるジャッカル共和国から軍事支援を受ける筈でしたが、いつまで経ってもジャッカル共和国はオオカミ族を助けませんでした。
――そして、やはりその理由は歴史書には何も書かれていません。
『もし』ジャッカル共和国がオオカミ族に軍事支援してたとしたら、戦いはオオカミ族に有利となっていたでしょう。
――しかし、歴史に『もし』はなく、ただ無慈悲に時が進んでいくだけなのです。
戦は壮絶を極め、羊村、オオカミ族の双方に多大な犠牲者が出たそうです。

弓矢などの原始的な武器しか持たないオオカミ族は次第に追い詰められてゆき、開戦から二ヶ月後、止む無くオオカミ族は羊村へ休戦を申しでました。
幾度となく、困難な話し合いが持たれました。
そしてようやく、休戦協定が結ばれ、羊村を囲う壁が軍事境界線として制定され、しばらくの間、全ての軍事行動は停止されたのです。
しかし、決して戦争が終わった訳ではないので、休戦の証としてオオカミ族の代表が軍事境界線に弓矢を置くのが習わしとなったそうです。
それではここで、過去へと遡り当時の様子を見てみる事にしましょう___

休戦協定が結ばれ、軍事境界線が引かれてから一週が経った夜の事。

戦が始まると同時にオオカミ軍へと編入されていたアセナは、父のミハリからの命を受け軍事境界線へと向かっていました。
その命とは、休戦の印として弓矢を軍事境界線に置く事。
これが日々成されないと、羊軍はすぐにでも軍事行動を再開してしまうのです。

半月の淡い光が射す中、アセナは森の獣道を歩いています。
実の所、アセナはこの戦には終止符を打ちたかったのですが、オオカミ族の気性を考えると、和平への道のりは遠いように思えました。
アセナは、今回の事態を戦へと持ち込んだのはフェンリルである事を、分かっていました。

『――きっと、羊村村長の娘の暗殺を企てたのもフェンリルに違いない。しかし何も証拠が見つからなかった……。いくら僕の師匠とはいえ、父に背いたフェンリルの行いは厳罰に価する』

重い足取りでアセナが弓矢を握りしめていると、行く手に軍事境界線の高い壁が見えてきました。
羊兵が五匹、銃を構えていたので、非戦の証に弓矢を頭上に掲げながらアセナは壁に向かってゆっくりと歩きます。
羊兵が銃を向ける中、アセナはそっと弓矢を地べたに置き、相手を刺激せぬよう踵を返し森の中へと帰っていきました。
羊兵は気を許す事なく、アセナが完全に視界から消えてなくなるのを見守っています。
――しかし、アセナは獣道から脇へとそれて、羊兵に気づかれぬように再び壁へと向かいます。
狩りの師匠であるフェンリルから訓練を受けているので、敵を欺き気配を消すのは、アセナにはいとも容易いのです。

どういう訳か『羊村がいったいどのような所なのか見ておきたい』という強い衝動がアセナに湧いて出てきたのです。
フェンリルを始め多くのオオカミは羊村を奪われた聖地だと固く信じており、強硬派のオオカミ達は聖地奪還を企てています。
何故羊村が『奪われた聖地』だとされているのか、アセナはその訳を知りたかったのかもしれません。
アセナは気配を押し殺し、音ひとつ立てずに羊村を囲う壁沿いを進みました。
――壁が高いので羊村の様子が伺えないのですが、なんだか懐かしいような匂いがする気もします。
戦時中なので、羊村は静まり返ってはいるのですが、アセナはその鋭い耳と鼻を通じて、羊たちの生活の気配を感じ取っていました。

ふと気づくと、壁の上に気配がしたので、アセナは立ち止まり大きな耳をそちらに向け、鼻を嗅ぎ気配の正体を探ります。
――この匂いは以前にも嗅いだ事がある……。
目を凝らし、壁の上を見上げると月明かりに照らされ、一匹の羊が白い毛並みを風に揺らせているのが見えました。
――『あ。あの時の雌羊だ!』

その雌羊の美しい毛並みに見惚れていると、アセナは足元に落ちていた小枝を踏んでしまい、パキリという音が響きます。
雌羊は音に驚き、壁の下を見ました。

「だれ ?! 」

……アセナは雌羊に向かって小声で返事をします。

「シッ、あまり大きな声を出さないで ! 僕は、あの時のオオカミだ。覚えているかい ? 」

ソールは声のする方を見ますが、羊はそもそも夜目がきかないので、相手がよく見えません。
目を凝らすと、月明かりに照らされたオオカミが一匹居ました。
ソールは、そのオオカミをよく覚えています。

「……あなたは、あの時のオオカミね、私を助けてくれた ? 」

「そうだ。僕は別にここに偵察しにきた訳でもないし、夜襲をかけにきた訳でもないんだ。信じてほしい。――僕はこの戦を止めたいだけなんだ」

ソールは黙り込み、そのオオカミの金色の目を見ました。
あの日、そのオオカミの目を見てからというもの、それがずっとソールの脳裏に焼き付いていたのです。

「私、オオカミ族は信じていないのよ。オオカミは、羊と違って獰猛で野蛮だわ。……でも、あなたは、ちょっと違うわね。あの時は助けてくれて、ありがとう。お礼を言うわ」

「別に信じてくれなくても、いい。確かに僕らオオカミは、君たちとは風習も信仰心も何もかもが違う。ただ僕は、この無駄な争いを止めさせたいだけなんだ。このままでは、オオカミ族は羊族に滅ぼされてしまうだろう。――また、ここに来て君と話が出来るかな? 僕は、君たち羊の事を、もっと知りたいんだ」

二匹は黙り込み互いを見つめ合い、辺りは静まり返りました。
しばらくして、ソールは小さな声で返事をします。

「分かったわ……。あなたの名前はなんて言うの ? 」

「僕の名前はアセナ、オオカミ族の指導者、ミハリの子。君の名は ? 」

敵の子に名を明かしていいのやら、ソールは考え込みましたが、決心をしたように小声で答えます。

「私の名はソール。羊村村長ショーンの娘……」

「ソール、とてもいい名だ。『太陽の女神』という意味だね。君は壁の向こうのあの城に住んでいるんだね。僕が来た時には合図に小枝を、壁の向こうに投げるよ。――また会おう」

そう言い残し、アセナは気配を消しながら森の中へと消えていきます。
ソールはアセナの気配がしなくなっても、しばらく壁の上に立ち、アセナが消えていった森を見つめました。

――この時、アセナは気がついていませんでした。
気配を押し殺すのは、上には上がいるのを、アセナは見過ごしていました。
オオカミ軍司令官フェンリルはアセナの後を追い、二匹のやり取りを、木の陰より最初から最後まで見ていたのです。

フェンリルは壁の上にいるソールを見て、何かを思いついたようにしてニヤリと笑い、壁から離れ、まるで初めからそこに居なかったようにして、姿を消します。
頭上では半月が輝き、ソールの足元に長い影を伸ばしていました。

――――つづく

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