
3歳児、映画で泣く
自分がはじめて映画館で映画を見たのは「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版だったと思うが、今ひとつ記憶が定かではない。近所にあった映画館に、たしか祖父が連れて行ってくれたような気がする。昔の映画館は今よりももっと非日常感にあふれていた気がするけれど、
自分がはじめて映画館で映画を見たのは「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版だったと思うが、今ひとつ記憶が定かではない。近所にあった映画館に、たしか祖父が連れて行ってくれたような気がする。昔の映画館は今よりももっと非日常感にあふれていた気がするけれど、
「父さん、大きい声出さないで、アリさんだよ」と子どもに言われた。自分は大きい声など出していないし、直前まで大騒ぎしていたのは子どもの方である。これは大人の言ったことをそのまま模倣する「モデリング」というものであり、この少し前に大声で叫んでいた子どもに
子どもには怒ることもあるけれど、それがどうしていけないことなのか、なるべくきちんと説明をしようと心がけている。息子はまだ3歳で大人の話がきちんと理解できるとは思わないけれど、とにかく自分の言葉でどうしてそれがいけないことなのかをはっきり説明
3歳になった息子は、このところ言葉での表現が一気に広がってきた。言葉が増えるということは、様々な意思の疎通がより細かく出来るようになってきたということでもある。「イヤ」と「したい」がかなり具体的なものに変化してきているのだ。
恐竜、ダンゴムシに続いて今度は子どもの中で「魚」、というか水の中の生き物ブームが訪れている。絵本やテレビなどで魚に対する気持ちが盛り上がりつつあるのには気がついていたが、ここにきてそのブームが一気にピークに達したようだ。ちょっと前までは全部
最近息子の記憶がかなり長いスパンで残るようになってきた。子どもはその一瞬を生きていると以前書いたことがあったが、その一瞬の容量がどんどん増えてきているのである。寝る前にコーンフレークが食べたいと言われた時、「コーンフレークは明日の朝にしよう
「最近あっという間に時間が過ぎちゃう」というような会話をよくするがそれは単純に自分がポンコツになってきて今までのような効率で物事ができなくなっているからだと思っていたが実はそれだけではないらしい。 これは「ジャネーの法則」と言い、19世紀の
子どもはまだ発達の過程であり、ひとりでできることが増えてくると、今度はそれを誰かと一緒に共有したいという気持ちが生まれてくる。何かの行動を共有することで信頼関係が構築され、そこで初めてそれぞれが役割を分担して物事を進められるようになっていく
やることがたくさんあって目が回りそうな時ほど、子どもはわがままを言ったり言うことを聞かなかったり、そして熱を出したりするものである。どうしてそういうことが起こりやすいのか、それは子どもが今、自分に目を向けられていないということを本能的に察知して
息子に空前のダンゴムシブームが到来している。近所の公園に行くたびに座り込んでダンゴムシを探し、見つけるとしばらくその場を動かない。そしてダンゴムシの一挙一動を実況し始める。 「見て、ダンゴムシいたよ」「ダンゴムシいなくなっちゃった」