
【第四十九話】
章子たちが千曲警察署に着いたのは、14時頃だった。
そこで章子は、満男の運転する車が久代駅前でロータリーに突っ込んだということ、偶々久代線のイベントの最中で、人がたくさんいたということ、その人たちをなぎ倒して車は大破して停まったということ、4人が救急搬送され、うち一人が意識不明の重体であるということ、軽傷の3人の中には小学生がいたということ、重体になっているのはその子の母親だということを聞かされた。
「事故の理由は? 父は?」
「まだ調べている最中なので、はっきりしたことは言えないんですが、お父様の話ではブレーキを踏んだということなんです。ただ、周囲の目撃者の話では急加速してきたということなので、おそらく、アクセルペダルの踏み間違いなのではないかと……」
「はあ……。やっぱりあの車」
何かを言おうとした章子を、後ろから来た新一が制す。
「だから、車のせいじゃないって」
「あなた……。お母さんは?」
「大丈夫。子どもたちと一緒に車にいる。萌に、お義母さんを見てるように言ったから、大丈夫だよ」
「父に怪我はありませんか?」
新一が警察官に尋ねる。
「こちらは娘さんのご主人ですか? はい。お父様はご無事です」
満男が無事だと聞いて、不謹慎ながらも章子はほっとした。
「ところで、お父様は、お母様がいなくなったと仰ってるんですが、見つかりましたか?」
「あ、おかげさまで。昨日、明科駅で保護されたんです」
「ああ、それはよかった。お父様のお話では、姨捨駅で目を離した隙に居なくなったらしいんですけど、明科ということは、電車に乗っちゃったんですかね?」
「やっぱり! やっぱり姨捨駅に行ってたんですね」
「そうらしいです。月を見るために」
「父と話せますか?」
「申し訳ありません。今はご家族とは面会できません。弁護士だけ接見できるんです。もし必要なら、そちらで手配していただいて」
「そうですか……。あの、父に、母が見つかったことは伝えて頂けますか?」
「ああ。それはいいですよ。心配されてるでしょうしね」
「お願いします。……あの、父はどうなるんでしょうか?」
「うーん。おそらく、このまま逮捕になるので……。まあ、年齢が年齢なので、場合によっては保釈されることもあるかもしれませんが、裁判で有罪になれば、おそらく実刑にはなると思います」
「そうですか……」
章子は頭が真っ白になった。新一が代わりに尋ねた。
「被害に遭われた方は、どちらの病院にいるんでしょうか? お詫びに伺いたいと思うのですが……」
「それは……加害者の家族には教えていい? いいんだね。……すみません。最近はいろいろ厳しいもんで。更科中央病院です」
章子と新一は、丁重にお礼を言った後、すぐ病院へ向かった。
被害者のうち、軽傷の2人は、地元のフラダンスサークルに入っている高齢の女性だった。
1人は右足を骨折、もう1人は打撲と、倒れた拍子に頭を打ったかもしれないということで、念のため、暫く入院となったらしい。
そのどちらかの夫らしき高齢の男性が、章子に激怒し「年寄りの親の運転による事故は、子どもの責任だ」と責め立てた。章子は返す言葉もなかった。
だが、被害者本人やもう一家族のほうは、章子たちの謝罪をすんなりと受け入れた。
どうやら警察から、事故を起こす前の満男の事情を聞いていたようだった。怒るどころか、逆に章子たちの心配をしてくれた。鶴子が明科駅で保護され、今一緒にいることを伝えると、心底安心した様子で、「よかったわね」と言ってくれた。
もう1人の軽症者は、小学生の女の子だった。
萌と同じくらいの年頃のその子が、体のあちこちに包帯を巻かれ、ベッドに横たわっているのを見て、章子は胸が圧し潰されそうになった。どんな言葉をどれだけ伝えても、なかったことにはできない事実に、ただ頭を下げることしかできなかった。
「あなたがしたわけじゃないから……」
女の子の父親はそう言った。
「僕にも高齢の父がいます。どれだけ言っても、運転を止めようとはしません。確かに、この町では車がなかったら何もできないんです。バスも減らされてるし、電車だって。今日、あれ、廃線なんですよ。車がなかったら住めない町にしたくせに、歳取ったからってその車を手放せなんて。難しいですよ。さっき、あちらのご主人が言ったこと。確かにその通りなんだけど、でも親も人だし。無理矢理従わせることは、たとえ子どもでもできないですよね。親が運転するのは目的があるからです。通院したり、買い物したり、人に会ったり。どこにも行く用事がなくなれば、車になんて乗らないでしょう。誰かの手を借りることなく、いくつになっても自分でそれができることを、人は求めてるんじゃないんですか? それなのに、歳取ったからと親の目的を取り上げる。あるいは、目的を手放すのを待つ。それって、親の死を願うことと、何が違うんでしょう?」
子どもが怪我をし、妻が意識不明の重体になっているにも拘わらず、その男はそう言って、高齢の親が運転するのを止められなかった章子を責めるわけでもなく、ある種の共感さえ示す。怒りや憎しみや悲しさで埋もれることなく、心に余白をもって相手に思いを馳せる。
他の被害者たちもそうだ。
我が身に降りかかった災難やそれをもたらした元凶に敵意をむき出して咎めることなく、相手の無事を聞き、安堵する。どうしてこんなことができるのだろう。同じ状況に置かれたら、章子は同じように振舞えるのだろうか。章子は精一杯の感謝の気持ちを込めて、深々と頭を下げた。
仏のような思いやりを前にして、不安と恐怖と焦りで冷え切ってしまった心が温かくなる。
そして、温かくなった心が罪悪感で満たされる。
そんな章子の肩を新一が抱く。二人は病室を後にした。
「私、ひどいこと、考えた。もっと責めてくれたらいいのにって。あんなふうに気遣われると、却って辛い」
「うん。でも彼らは決して君やお義父さんを気遣ったわけじゃないと思うよ。それは君の思い上がりだよ。もちろんそういう面もあるかもしれないけど、あの人たちは、車がなくては何もできないようにした上で、年老いたからと言って、その車を奪うことを当たり前とする社会に憤ってるんだと思う。その意味では、お義父さんも被害者だと思っているのかもしれない」
「そうなのかな?」
「でもね、誰がどう言おうと、お義父さんは人をはねた。取返しのつかないことをした。そしてお義父さんは今、直接あの人たちに謝罪することができない。だから僕たちが謝るんだよ。駅にも謝罪に行ったほうがいいね。さっき、あの人も言ってたけど、今日は、電車が廃線になるのでイベントをやってたらしいし。いろいろと迷惑かけたと思うから」
久代駅では、田中たちがイベント中止の対応に追われていた。
移動ステージを解体し、跡地にイベント中止の旨の看板を立てた。
「今日のイベントは、フラダンスとカラオケだったっけ? 参加者には、もう連絡したんだよね?」
「はい。あとローカルアイドルのミニライブもあったんですけど、そっちも対応済です。実はどうも、グループが活動休止になるらしくて」
「え、そうなの?じゃあ、ラストライブだったわけ?」
「それは申し訳ないこと、したね。場がなくなっちゃったってことでしょう?」
「いや。それがどうも、新しいグループのお披露目だったらしいんです」
「新しいグループ?」
「なんか、元のメンバーの10代のメンバーだけが残って、新たに違うグループになるとか」
「えーっ。何それ。なんか感じ悪い。若い女子だけがいいってこと?」
「いや。今度のグループは、男女混合になるらしくて」
「へえ。それは良いんじゃない? でも珍しいね」
「どうも、鉄道をメインとしたアイドルらしいんです」
「へえ。山田さんよく知ってるね」
「まあ。ある筋から情報を得まして……」
「やっぱりアイドルオタクだよね? 山田さん」
「いやいや」
「まあいいや。じゃあさ、前にいたグループのラストステージだったってこと? このラストランイベントが」
「そうなりますね。おそらく」
「そうだったのか……。クッシーと同じじゃん。じゃあ、中止になっちゃって、そのまま終わるのかな?」
「どうでしょうね。だとしたら、かわいそうですね」
「ホントだよ。いろいろ影響あるね」
「そうですね。ところで田中さん、キッチンカーの出展者は大丈夫だったんですか?」
「うん。事情話してわかってもらった。まだ準備中だったみたいで使用前の食材も多くて流用できるって。期待してた今日の分の売り上げが無くなっちゃったのは、ちょっと痛いみたいだけど……」
「それは申し訳なかったね。ところでさ、列車のほうは、どうすんだろ?」
「ああ……」
3人は、駅舎のほうを見つめた。そこに1台の車がやって来た。
【第五十話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第四十九話、いかがでしたでしょう。満男の徹夜明けの運転がもたらした事故に言葉もない章子。高齢者の運転、配線になる鉄道、静かに解散するグループ、さびれゆく町。いくつもの潮時がまさに交差した久代線イベント会場。さて肝心のラストランはどうなる? 次回もどうぞお楽しみに。
作者へのメッセージ、「ホテル暴風雨」へのご意見、ご感想などはこちらのメールフォームにてお待ちしております。