やがて集会は終わった。
人々は感動の余韻に浸りながら、
次々と会場を後にしていく。
だが――
善財だけは、その場を動かなかった。
「おい、善財」
友人の善誓が声をかける。
「もう帰るぞ」
しかし善財は答えない。
ただ、じっと演壇を見つめていた。
胸の奥が、妙に熱い。
(すごいたな……)
善誓は首をかしげた。
「おい、聞いてるのか?」
だが善財は、ふいに立ち上がった。
そして一人で、ゆっくりと前へ歩き出した。
善誓は思わず叫んだ。
「おい善財! どこ行くんだ!?」
善財は振り返らない。
そのまま真っ直ぐ――
文殊菩薩の前まで進み出た。
善財はその場に跪き、
感動を抑えきれない様子で言った。
「文殊さま、善財と申します。
素晴らしい説法をありがとうございました!
あなたの言葉に揺さぶられ、
私の心の中に
『生きとし生けるものたちのために奉仕する』
という強い気持ちが生まれました。
世の中は豊かに見えても、
人々の心には愛欲や慢心、貪欲や憎悪が満ちています。
そのために、多くの苦しみが生まれているのです。
そんな人々を智慧という名の光で照らし出す、
貴方のような存在に、私もなりたい!
慈しみ深い光で大地を照らしながら天高くを進む、
貴方のように生きたい!
数々の障害をものともせず、
勇猛果敢に前進する貴方のように生きたい!
そのために今、
具体的に何をすべきなのかを教えてください!
お願いです。
私に進むべき道を示してください!」

善財の熱い告白を満足げに聞いていた文殊菩薩は、
彼の目をしっかりと見ながら口を開いた。
「少年よ。よくぞそこまで決意した。
オマエもまた、菩薩道を行こうというのだな?
だがその道は、並大抵のものではない」
善財は息をのみ、黙って耳を傾けた。
文殊は穏やかな声で続ける。
「菩薩の道を歩む者は、まず大きな心を起こさねばならぬ。
苦しむ人を見て見ぬふりをしない心。
すべての生きものを救いたいと願う心。
どんな困難に出会っても退かぬ心。
そして、自分ひとりの幸せではなく
皆の幸せを願う心だ。
さらに忘れてはならぬのは――」
文殊は少し身を乗り出した。
「善知識――善き師を求める志だ。
この世界には、実にさまざまな智慧をもった人がいる。
王もいれば、商人もいる。
医者もいれば、船乗りもいる。
そして時には――
思いもよらぬ人物が、真理を教えてくれることもある」
善財は思わず前のめりになった。
文殊は微笑む。
「だからこそ言う。
私だけではダメだ。
もっと、もっと多くの師について学ばねばならない」
そして文殊は言った。
「よいか、善財。
菩薩の道を志す者は――
善知識を求めることに疲れてはならぬ。
遠い道を恐れてはならぬ。
そして、その教えを疑ってはならぬ。
そうしてはじめて、道は開けるのだ」
文殊は静かに手を上げ、
遠くへ続く道を指し示した。
「善財よ――
旅に出るのだ。
さまざまな智慧をもつ善知識のもとを、
徹底的に訪ね歩くのだ」
そして、少し声を低くした。
「それも――
一人でな。
その覚悟がオマエにあるか?
大商人の息子として
ちやほやしてもらえる今の境遇を捨てて、
一人きりで旅立つ覚悟が
オマエにあるか?」

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