心・脳・機械(10)差別する私
20代の頃の私は、自分は差別とは無縁の人間だと思っていた。人種差別だの男女差別だのは、過去の話であり、いまだにそんな差別をする奴らは、きっと...
日々の通勤電車の中で僕が考えていること
20代の頃の私は、自分は差別とは無縁の人間だと思っていた。人種差別だの男女差別だのは、過去の話であり、いまだにそんな差別をする奴らは、きっと...
我々の心がさまざまな事柄を把握・理解することを「認知」というが、この「認知」という言葉自体が、実は人間の認知の特性を表しているのではないか、...
先週はお休みしてしまって、申し訳ありませんでした。 たった1回休んだだけ(なんて言うとオーナーに叱られそうだけど)なのに、もう随分長いこと...
情動を伴うか否かが、倫理(あるいは道徳)とルールの違いではないだろうか。 というのが、前回の結びだった。 つまり、倫理とは情動を伴う行動...
水鏡子氏は「ロボットの時代」の解説の中で三原則のことを「比較的何にでも敷衍できる、職業倫理の大綱みたいなもので」「たいていの職業のタテマエにあてはまるのがよくわかる」と書いておられる。全く同感だが、ただしロボットにとってはタテマエなどではない。
またアシモフの話に戻る。 前回、感情とは、ある対象や状況に対して接近あるいは回避しようとする衝動のことだ、という考え方について書いた。 ...
実験心理学や神経科学では、感情を良い感情(positive emotion)と悪い感情(negative emotion)の二つに分ける。 ...
科学は心の様々な機能を扱い、中でも感覚知覚とか記憶とかルールの切り替えとか、いわゆる「知的」な機能の研究が注目されることが多い。ところが日常...
前回は、心理学や神経科学などの科学が扱う「心」と、日常会話で話される「心」では、その内容が微妙に違うということを書いた。 日常私たちが「心...
今回からしばらく、「心・脳・機械」というお題で、色々なことを書いていこうと思う。 まず初めに、心とはなんだろうか? この問いにすっと答えられる人は、あまりいないだろう。いるとしたらそれは、心理学者か哲学者か一部の芸術家ではないだろうか。