【 10ヶ月・45回 】
この「モンマルトルの画家たち」を開始したのは昨年度2025年の11月7日(金)だった。かれこれ10ヶ月にわたり45回も語っている。
開始直後はもちろん、このような長編にしようとは思っていなかった。しかし無理なくマイペースで続けていけば、この話はもしかしてロングランになるかもしれないといった「漠然とした予感」みたいなものはあった。「まあ、資料も割合にたくさんあることだし、のんびり、じっくり語って行こう」といった気分だった。
「ホテル暴風雨」のおかげで「自由気ままに、マイペースで(毎週公開の)エッセイを綴ってゆく」という生活スタイルは、今や私にとってなんのプレッシャーもない。自宅からバイクで1時間の巨大病院に入院することになっても、そこで手術を受けることになっても、(前立腺の)陽子線照射治療で「週に5回・合計21回通院しなさい」と言われて驚いても、「モンマルトルの画家たち」は続けた。これを誇る気持ちはないのだが、私にとって(このような難局を迎えることになっても)誠にラッキーな執筆環境がいくつかあった。それは確かだ。
そのひとつは(東海一の設備を誇る)最先端巨大病院では、院内のどこにいてもWi-FiがOKだったこと。これはつまりエッセイを書いて、次の瞬間にSNS(私の場合はFacebook)で発信できることを意味している。「ホテル暴風雨」にアクセスできることも、「魔談」をアップすることもできる。
もうひとつは館内(院内)が非常に広いので、あたかも巨大宇宙ステーションのロビーでくつろぐように(外の天候とは全く関係なく)iPadに向かってエッセイに集中できる環境があることを発見したことだ。たまたまだが、この巨大病院内部の環境を知って「これなら書ける。発信もできる」とわかったことは誠にラッキーだった。
【 コミック専門店 】
さて話を戻そう。
パリ滞在での最後の2日間、私はいわゆる「観光」はキッパリとやめた。ただ目的なくフラフラと歩きまわることに決めた。
この決定は誠に自分らしいというか、気分がグッと楽になった。なにしろ目的地に着くために最寄りのメトロ駅がどうとか、どこそこで乗り換えとか、そうしたリサーチをする必要が全くない。
パリに来てから緊張の連続で心が休まることがなかった。雪のようにふわりふわりと積もっていた緊張がついにコチコチの氷になってしまったような気分だった。困難に立ち向かっていくファイトエネルギーが(予備タンクさえ)もうほとんどカラになってしまったような気がした。一番いいのはホテルの部屋に引きこもってどこへも行かない(笑)ことだが、風邪をひいたわけでもなし、さすがにそれはあまりにも情けない「パリ滞在エンディング」のように思われた。
幸いというか、パリでは至るところに道路標識がある。さすがに街頭でパリの地図を広げるわけには行かないが(それをやると絶対にスリに狙われる、数人のスリに尾行されることもある、と聞いていた)、迷ってしまった場合は磁石を見て、東西南北だけをきっちりと把握しておけばなんとかなるだろう。
その点で私は山男なので、磁石に対する信頼は以前からかなり強く持っていた。「腕時計のバンドに装着する小型タイプ」と「陸軍使用の精密タイプ」の2種類を持って歩いているほどだ。大雑把に考えれば、パリ中心部を東西に流れるセーヌ川よりも北にいる場合は、迷ったらとにかく(磁石だけを見て)南下すればいい、それさえ守っておれば、いずれセーヌ川に至るはずだ。
ホテルを出た。セーヌ川を確認してから、北上を始めた。
12月初旬のパリは肌寒く重いグレーの曇天だった。パリは北緯48度。北海道よりも北極に近い。しかしそのイメージよりは、いくぶん寒さが優しいように思われた。なによりも強風でないことが幸いだった。

コミック専門店を見つけた。これは面白そうだ。日本コミックはあるだろうか。
ちょっと期待して入ってみたのだが、この時代、つまり35年前のパリのコミック専門店には、日本コミックは1冊もなかった。
今では「日本コミックはあるだろうか」どころか、日本コミック専門店まであると聞いたことがある。なにしろパリ郊外でコミケまで盛大にやって大人気らしい。そりゃ日本コミック専門店のひとつやふたつはあるだろう。
さて私が入ったコミック専門店では、どんな種類のコミックを置いていたか。平積みされた表紙を見てまず思ったのは「ああそうか。要するにアメコミの世界だな」ということだった。スーパーマンやバットマンのアメコミを見たことがある人にとっては、すぐに想像できるだろう。あの世界である。
「もう少しこう、アメリカじゃなくフランスとかヨーロッパを感じさせるコミックはないのか」とあれこれ物色した。
残念ながらそうした期待に応えるコミックはほとんどなかったが、「……お、これはちょっと面白いな」と注目したハードカバーのコミックがあった。解説も吹き出しもフランス語なので内容は想像するしかないのだが、要するに「十字軍の遠征」にまつわる英雄物語のようだ。確かにこれは歴史のないアメリカでは出てこないだろうし、そもそも興味を持って読む人はほとんどいないだろう。
「……それにしても」と注目してしまったのは内容ではなく「紙と印刷インク」だった。「荒い紙だな」と思ったり、「発色の悪いインクだな」と思ったり。客というよりは、いつのまにか日本のグラフィックデザイナーの目でコミックを手にしていた。日本の製紙技術、印刷技術を改めて見直した。
【 つづく 】

