【 魔談542 】モンマルトルの画家たち(43)

【 フランス式縦列駐車 】

「マリアンヌはあなたのこと、好きみたいよ」
これには笑った。
「まさか。あんな美女がこんな日本人を好きになるはずがない」
「あら、そうとも言えないわよ」

貞子は驚くべき説明を始めた。昨夜、居酒屋に行った時にマリアンヌは私の宗教を聞いてきた。日本じゃまずありえないような初対面質問だ。私は返答に面食らってしまったのだが、貞子が助け舟を出してくれた。「こういうのがまさに異国だな」と私は思い、その後はそんな質問などきれいに忘れていた。ところが貞子に言わせれば(彼女はそのときもアレッと思ったらしいのだが)、この質問はマリアンヌが相手に好感を持っている証拠だというのだ。

「そんなに宗教が大事ですかね?」
「こっちじゃ宗教に生きてる人も多いのよ。マリアンヌの家はカトリックなの。好きになった相手がプロテスタントだったりしたら悲劇よ。どんなに好きな相手でも、家族も一族も猛反対」
「なるほどねぇ。……それなら日本人で、宗教も関係なしなんて男はもちろん猛反対でしょう」
「そうでもないわよ。日本人が好きなフランス人はわりといるのよ」
「へえ、そういうものですか?」
貞子はもう少しなにか説明をしたい様子だったが、私がてんで相手にしないというか反応が薄いので諦めたようだった。じつは私はもう本当に疲れていた。情けない話だが、一刻も早くホテルに戻りたかった。

その後、貞子は日本の状況を聞いてきた。最近なにか流行っているものはあるかとか、日本車は売れ行き好調かとか、その程度のたわいない会話だ。私も知ってる範囲で応じた。我々はマリアンヌの到着を待ちながらまったりと雑談したのだが、20分が経過してもマリアンヌは現れかった。
「おかしいわね。今朝は寝坊したい気分なのかもね」
貞子はそう言って立ち上がった。なんとなく残念そうだったが、私は「ああこれでホテルに戻れる」と思った。
我々は倉庫アトリエを出て裏に回った。彼女の愛車はホンダの軽で、黄色いボディだった。なるほどこれならどこに駐車したってすごく目立つだろう。

ホテルまで乗せてもらった途中、ちょっとした渋滞に巻きこまれた。やれやれと思ったのだが、そのおかげですごい光景を見た。
1台の赤い車が縦列駐車に割り込もうとしているのだが、どうにもスペースが足りない。1mほど足りない。その赤い車はどうしたか。なんと無理やりにその隙間に頭を入れ、すぐ前に駐車していた車のリアバンパーにフロントバンパーをぶつけてしまった。「ガッシャン」という音。
「ああー。やっちまった」と私は呆れてしまったのだが、呆れたのはそれだけではなかった。
驚くべし。そのままグイグイと前の車を押して前進させ、なんと自分の車の駐車スペースを無理矢理につくってしまった。周囲の通行人もちらっとその様子を見て笑っている程度。フランス人は、どうやらフロントバンパーは他車のリアバンパーにぶつけるためにあるのだと思っているらしい。
これが日本だったら大騒ぎだ。日本じゃぶつけるどころか、かすっただけで大騒ぎだ。ところがこっちじゃ、ガッシャンと盛大にぶつけても通行人はチラッと見て笑って終わり。運転席から出てきたドライバー(若い男だった)も、何事もなかったかのように、平然と目の前の店に入っていった。
「驚いたな」と私。
「驚いたでしょ」と貞子。

ホテルの前まで送ってもらった。
「もう帰国が近いのよね」
「そうです。明後日は空港です」
「マリアンヌが残念がるわ」
「どうですかね」
彼女は窓から手を振って、そのまま戻って行った。

「ああ貴重な時間なのに」と思いつつ、疲労には勝てなかった。
ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びると、そのままベッドにもぐって爆睡してしまった。

【 つづく 】


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