【 時間どろぼう魔談 】モモ(2)

【 最長児童文学魔談 】

年頭魔談では「モモ」(ミヒャエル・エンデ)を語り始めた。
この作品は御存知だろうか。21章で構成された物語なので、魔談でも21回をかけて1章ずつ語っていこうと思う。じつに5ヶ月かけて語るわけだ。【 時間どろぼう魔談 】モモ(21/最終回)は5月26日(金)である。

なぜそこまでして「モモ」を詳しく語ろうとするのか。「ネタに困った?」という声が聞こえてきそうだが、否定はしない。確かに魔談でひとつの話題が終了した時点で「さて次はなにを語るか?」と大いに悩んできた。しかし「困った」という気分ではなかった。むしろ「あれはどうか。これも語ってみたい」といった候補さがしはわくわくした。

長期間にわたって「モモ」を詳しく語ろうとする理由は大まかに2つある。
ひとつは年末魔談でとりあげた「クリスマス・キャロル」が大いに面白かったからだ。「筆者が面白がってどうする」という声が聞こえてきそうだが、やはり「大好きなものを存分に語る」という行為は人間を活性化させる。単に物語を紹介するのではなく、あれこれ余談&脱線も含めて「その作品をモチーフにする」とでも言おうか、そうした進展が面白かった。

いまひとつは詳しく語ることによって「モモ」の魅力……文体、構成、人物キャラの魅力、展開の妙……そうしたテクニックを改めて学び、エンデがこの物語で伝えようとしたことをしっかりと把握したいという意欲がある。人に紹介するからには、当然のことだが、まずは自分がしっかりと把握していなければならない。好きでもないものを紹介するのは気が乗らないが、大好きなものを紹介するのはモチベーションが上がるものだし、調査や分析や感想にも力が入るというものである。

第2章【 めずらしい性質とめずらしくもないけんか 】

さて本題。
第2章はなかなか素敵なタイトルだ。思わず「めずらしい性質?……どんな性質だ?」と興味を持つタイトルだ。
読者は第1章でモモがめでたく円形劇場に住むことを許された経緯を知っている。「さて、モモはいよいよ円形劇場でどんなことを始めるのだろう」と期待している。なので「めずらしい性質」とくればこれはもう当然、モモのことだろうと期待はふくらむというものだ。いったいどんな性質か?

円形劇場周辺に住む人々は、どんどんモモと親しくなっていく。いれかわりたちかえり、みんながモモの部屋に尋ねていくようになる。いつもだれかがモモのそばに座って、なにかを一生懸命に話しこんでいる。しかもモモをまだよく知らない人がいると「モモのところに行ってごらん」とまで言うようになる。そこまで人々を引きつけるモモの魅力とはなにか?

答えはじつにあっけらかんとしている。モモは人の話をちゃんと聞く。ただそれだけなのだ。
しかしエンデのテクニックはじつにさえている。「なんだそんなことか」と思わせたあとで、モモに話を聞いてもらった人々がいかに変化したかという事例を次々にあげていく。

モモはただじっと黙って注意深く相手の話を聞いているだけだ。その大きな黒い目は、ただ相手をじっと見つめているだけだ。ところがモモを前にして話を始めた人々は、驚く程の自分の変化に気がつく。迷っていた人は迷いが晴れ、引っこみ思案の人は勇気を感じ、自分を卑下していた人は「いやいやそんなことはない。おれはおれなりに、この世の中で大切な存在だ」と思うようになる。

そして読者が「ほほう」とこうしたモモ現象に興味を持ち始めた頃合いを見計らい、後半の「めずらしくもないけんか」に話は進展していく。

モモのところにやってきたふたりの男。隣どおしに住んでいるのだが、おそろしく仲が悪い。ふたりはモモを脇に置き、円形劇場の中心をはさんで激しくお互いをののしり合う。しかし存分にののしりあった後で、双方ともにもうののしる言葉がなく、疲れてしまう。やがて自分が相手に投げつけた「ののしり言葉」に恥ずかしさを覚え、後悔の気持ちが生じる。双方ともに笑い始め、ついに仲直りするのだ。
この第2章の最後にエンデはこんな言葉でしめくくっている。

さあ、これでもやっぱり、人に耳を傾けるなんて大したことではないと思う人がいますか?
そういう人はモモのようにできるかどうか、一度ためしてみることですね。(原作)

このあたり、ただ物語を展開させるだけではなく、常に読者の心の動きを想定しているエンデのテクニックが見事に現れていると私は思うのだが、いかがだろうか。

【 つづく 】


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