武帝と達磨大師 後編(出典:碧巌録第一則「武帝問達磨」)

さあ、納得がいかないのは残された武帝です。その場の怒りが収まってみると、疑問ばかりがどんどん募ってきます。

思い余った武帝は、当時数々のイリュージョン(顔面が次々と割れて中から別の顔が現れる、また同時に複数の場所で目撃される、また現在過去未来の全てを見通し予言するetc.)を巻き起こして評判だった宝誌(ほうし)和尚を呼び出しました。

武帝:「なぁ、宝誌和尚。かれこれこんなことがあったのだが、いったいアイツ、何者だったんだろうな?」

宝誌:「陛下、彼が何者かおわかりになりますか?」

武帝:「いや、だからわからないって。」

宝誌:「全くしょうがないですねぇ・・・あのお人こそ、仏教の真髄を今に伝える、たった一人の人物だったのですよ。私も十一面観音の化身だとか言われていますが、彼こそが本物の観音菩薩なのです。」

それを聞いた武帝はびっくりするやら後悔するやらで、すかさず使いを走らせて呼び戻そうとしました。

宝誌和尚はそれを制して言いました。

「陛下!無駄ですよ。あなたの使いどころか、全国民が迎えに行ったところで、彼はもう二度と戻ってはこないでしょう。」

その後、武帝は当時の高名な僧侶を招き、論客としてならした自分の息子と自分で聖俗頂上対談を実施しました。

そこで得た結論とは、こういうものでした。

「非有(あるのではない)ということを明らかにするのが「聖」のハタラキ、非無(ないのではない)ということを明らかにするのが「俗」のハタラキである。つまり「聖」も「俗」も究極の状態においては違いはない。それこそが仏教の真髄である。」

武帝は嘆きました。

「ああ、何ということだ! これは全くあのヒゲオヤジが言っていたことと同じではないか・・・」

嘆きのあまり、ついには石碑まで建てて次のような言葉を刻みつけたそうです。

「ああ、残念だ! まさに目の前まで来ていたのに、会うことができなかった。この目はちゃんと開いていたのに、見ることもできなかった。残念だ・・・ 本当に残念だ・・・」

ところでこんなことを言う人がいるようです。

「宝誌和尚が亡くなったのは西暦五一四年だ。達磨大師が梁にやってきたのは早く見積もっても西暦五二〇年。計算が合わないじゃないか! これって絶対作り話やで!」

さて、またこんなことを言う人もいるようです。

「達磨大師が亡くなってからしばらく経った頃、パミール高原で達磨大師を見かけた! 彼は草履の片方だけを手に持って、西に向かって行ったんだ。本当だよ!」

さぁ、ここで読者のあなたに質問です。

達磨大師は今、いったいどこにいるのでしょうか?

・・・まぁ、お前さん程度では、仮に彼が目の前を通り過ぎたところで、気がつきゃあしないだろうがね。

<武帝と達磨大師 完>