吉凶のペアレントフール

Takehiko.egg and Natsuki.bird 卵と鳥 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

先日、福永に会ったところ「息子が高校で文芸部に入った。ぼくは夏樹の父親として文学史に残れるかもしれないよ」と嬉しそうに言っていた。

(出典失念。おそらく中村真一郎の日記)

というような記述を読んだことがある。

高校生くらいの昔のことなので出典は忘れ、調べ出すこともできず、細かいところなど違っているかもしれないが、中村真一郎の日記だか随筆だったかだと思う。
中村真一郎といえば、福永武彦にとって、中学、高校、大学を通じての同級生で、生涯親しく付き合った友人でもあった、作家・詩人・評論家だ。
というわけで今回も、前回に引き続き福永武彦の話です。

これを読んだ当時、文中の「夏樹」とは離婚した妻のもとで育てられた福永武彦の息子の名だということだけ、他には何も知らなかった。福永武彦ならば自身の名で文学史に残るだろうし、それに何だ、高校生の息子がどうしたって? と、要約すれば「親馬鹿ってやつは恐ろしいな、おい!」とでもいう、けっこうな衝撃を受けた。微笑ましいエピソードといえばいえるが、若い頃に傾倒した作家など多分にアイドル的な存在だ。しかも、華やかな容姿と美声を持ち、近づけば触れもできる類のアイドルではなく、あざやかな詩情をきらきらした理知で包んだような概念のアイドルだ。その超物質的アイドルともあろうものが、何この親馬鹿、何この体たらく、これはいったいいかがなものかと、いろいろなことにうんざりして怒りがちだった生意気な高校生が思うのもまあ、しかたがない。こんな馬鹿みたいなエピソードを活字にして公開するなど本人の名誉に関わるのでは、とも少し思った。

さて、このエピソードを読んだ当時、福永武彦はとっくにこの世の人ではなく、他に好んで読んでいた本も現役作家のものはどちらかというと少なく、私の文章の好みはやや「古い作家」に偏っていたかもしれない。一方、値段や重量の割に読むところが多いという即物的な理由からではあったが、文芸雑誌は時々買っていて、買わないものも図書館で借りて読んだりして、池澤夏樹という作家が活躍しているのは知っていた。現代的なテーマを描くと言われながら文章はむしろ硬く端正なところが好きだなあと、高校生らしい素朴な好感を抱いていたものだ。だが、福永武彦の親馬鹿エピソードに登場する「夏樹」があの池澤夏樹であることを私が知るのは10年以上先になる。

知った時には、親馬鹿ぶりに度肝を抜かれた時をさらに超える衝撃だった。その頃は福永作品がもう続々と悲しいほどに絶版になっていて、かたや池澤夏樹は大活躍していたので、「夏樹の父親として文学史に残る」という予言がネガティブな意味で成就するかと思った。
しかし同時に、福永武彦の文学上の功績をもうひとつ見たとも思った。
作家となった池澤夏樹に父として与えた影響やら遺伝子やらが素晴らしいなどと言うつもりはない。どんな影響を与えたかは知らないしそもそも影響など与えていないかもしれない。それに文学的才能なんかそうそう遺伝しないだろう。
ただ、心にあふれんばかりの正のバイアスを取り除いてなお、この子には才能がある、と見抜いたのだとしたらその目が素晴らしい。
もちろん、我が子に対し正負どちらのバイアスがかかるか、何のバイアスもかからずフラットなのかは人によるが、「嬉しそうに言っていた」という記述その他から、福永武彦が我が子に対し正のバイアスをかけがちだったと推察される。福永武彦の人生時間軸から見ると、池澤夏樹の最初の詩集が出版されたのが最晩年、小説の出版は死後のことだから、あまり作品を読めず残念でしたねと声をかけたくなるが、依然としてアイドル的要素の残る私の中の福永武彦は、むしろ「なに、読まなくたってちゃんとわかりますよ」とうっすら微笑んで去るのである。

冒頭の記述の出典が何だったのかはいまだにモヤモヤしているので、もしご存知の方教えてください。よろしくお願いします。

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