なにわぶし論語論第31回「述べて作らず」

子曰く 述べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む。窃(ひそ)かに我を老彭(ろうほう)に比(なぞら)う(述而 一)

――――私は、先人の言葉を受け継いで述べるが、自分で創作はしない。過去の偉人たちを信じて、古いことを好む。ひそかに心のうちで、自分を古の賢人老彭(ろうほう)になぞらえている。――――

「昔の人の言葉を受け売りしているだけで、自分で作った物はありませんよ」ということだから、謙遜しているようにも見えるが、そうではない。そんな自分を老彭という昔の賢人になぞらえて悦に入っているのである。

たしかに、孔子の大きな業績は、古典の収集、編纂、およびそれらの知識を後輩たちに伝えることだったようだ。古典を研究し、詩経、書経、春秋などを執筆、または編纂したと伝えられる。
このように古いものが好きで、反進歩的とも見える孔子だが、自らの学団の中では弟子たちによる自分への反論、挑戦にも寛容で、そういう意味では進歩的な人物である。封建制による身分差別を当然のものとして受け入れながら、臣下の第一の務めは主君の誤りを正すことであるとしている。
また、「述べて作らず」と言いながら、儒学という、思想の新しい潮流を作り出したとも言える。彼が古いのか新しいのか、守旧派なのか革新派なのかの判断は、見方によって180度変わるだろう。

ちょっと話は変わる。現代の自然科学や芸術においては、新発見や新作、創造性が重要であり、一見、「述べて作らず」という孔子の思想とは相入れないように見える。しかし、自然科学の目的は自然界に既に存在する事実や法則を発見、理解することであるし、芸術家の創造というのも、人間の心にある(おそらく太古から受け継がれている)内面の事実を発見し、表現することだとすると、これらも、非常に規模の大きな「古典の発掘、編纂」と言えるのではないだろうか。いくら芸術家の創造活動といっても、人間の心の中に存在しないものを勝手に作り上げたのでは、人々から受け入れられはしないだろう。
自然科学に目を向けると、ワトソンとクリックによるDNAの基本構造の解明など、正に何億年も昔から伝えられた古文書の文字の解読以外の何物でもない。それ以降の分子生物学も、全て古文書の解読と解釈と言って良いのではないだろうか。たまにデータを「新作」して世間を騒がす人もいるが。

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