電車 居眠り 夢うつつ 第17回「王の腹から銀が打てない」

どうも私は連載小説とか連続ドラマが苦手で、1、2度見逃すと、その後を見る気がしなくなってしまう。1話完結ものなら心配ないのだが。
そういうわけで、風木オーナーの「王の腹から銀を打て」も、長らく読んでいなかった。先日思い立ってまとめ読みしたら、タイトルの「王の腹から銀を打て」の意味が登場人物の口から説明されていた。

(相手の王の腹、すなわち真横に駒を打つ場合)
「将棋の目的は王を取ることなんだから、本当なら横に行ける金や飛車を打ちたいはずだ。王手! とね。でも銀を打ちなさいと教えている。ほしいものをいきなり取りにいくんじゃなくて、一呼吸おいて次に取りにいく。あせっちゃいけないんだな。はやる気持ちをおさえて準備を整え、次に決定打を放つ。これって将棋のコツなんだけど、なんだか将棋以外のことにも当てはまりそうな気がしないかい?」

そうか。そういうことだったのか。私は納得し、少なからず感動した。
何も、言葉の意味がわかっただけでそんなに感動したわけではない。実は最近、仕事の上で少し行き詰まっていることがあったのだが、その理由がわかったのだ。私は、早く問題を解決して楽になりたいがために、戦略的な意味のない「王手」を繰り返していたのだ。次第しだいに持ち駒はなくなり、最後は行き詰まってしまったというわけだ。こういう大事なことに気づかせてくれるのだから、「暴風雨読まざるべからず」である。

さて、これはあくまで私の個人的な問題であり、他のことと何か関係があるとは全く思わないのだが、世の中、無意味に王の鼻先に歩を打つようなことが結構多いような気がする。なぜそういうことになるのだろうか?
ひとつには、人間は不安になると、何かせずにはいられなくなるということがあるだろう。それに加えて昨今は、意味があろうとなかろうと、「王手」の回数を数えて評価するようなことが、社会のいろいろなところで見られるようだ。客観評価が重視される時代である。客観視することは良いことだが、場合によっては客観評価できる特定のこと(王手の回数)だけで全体を評価したり、評価される側もその評価に振り回されて、無意味な王手を繰り返す、というようなことも起こりがちだ。
そんな時に「王の腹から銀を打て」と口の中でつぶやいてみると、ちょっと心が落ち着いてくる(*)。みなさんも、騙されたと思って、お試しあれ。

*あくまで個人の感想です。効果には個人差があります。

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