【第十話】
「お義母さんのいる部屋で、仕事したらいいんじゃないの?」受話器の向こうで夫が言う。
「資料作るとかならそれでもいいんだけど、さすがに会議とかは無理だから」
「まあ、そりゃそうだけど……」
「お母さん、ベッドで横になってても寝てないからね。何かを思いついてはすぐ話しかけてくるし。ほぼ食事の心配なんだけどさ」
「母親である記憶は失わないんだなあ」
「でもさ、子どもの頃にわたしが大怪我した話とかは全く覚えてないのよ。あんなに〝アンタはすぐどこかに行っちゃうから、気が気じゃなかった。あんな怪我させて、お父さんにすごく叱られたんだから〟とか詰ってきてたのに」
「そうなんだ……」
「わたしを育てた記憶の中で、あの怪我のことを忘れちゃうなんて信じられない。〝あんなすごいエピソードを忘れちゃったの?〟って訊いたら、苦笑いしながら〝そんなこと、あったっけ?〟とか言うんだよ」
「お義母さんの記憶の中で、何が残るんだろうね」
「何だろうね。今日はお父さんといくつ違いかってことも、忘れちゃったみたいだしなあ。名前は覚えてたけど、まだ」
「ほう」
「おじいちゃんがお父さんのことをいつも名前で呼んでたらしくって。〝おばあちゃんとか他の人はみんな、喜一さんってさん付けするのに、おじいちゃんは喜一って呼んでたのよ〟って嬉しそうに言うの。お父さんはおじいちゃんのお気に入りの婿だったらしい。自分の父親と紐づいているから、覚えているのかもしれない」
「自分の夫じゃないか。紐づけなくても覚えているんじゃないの?」
「いやあ。おばあちゃんが呆けた時、一番最初に忘れたの、おじいちゃんだったよ。存在自体を忘れちゃってた」
「切ないなあ」
「あそこは、好きで結婚したわけじゃないからね」
「でもお前の親は、恋愛結婚なんだろう?」
「そう。だからさすがに、大丈夫だとは思うけど、少しずつ、何かが落ちるみたいに、お父さんの記憶、なくなってる気がするし」
「そうか」
「タツヤのことを、お父さんと間違ったりね」
「……タツヤって?」
「えっ。弟でしょ。わたしの。ちょっと、やめてよねえ」
「……弟? お前、弟なんて、いたっけ?」
「何言ってるの? 本気で怒るよ。どうしたのよ?」
「……どうしたって。えっ……」
「今はお母さんしか対応できないからね。わたしのボケ窓口は一つしかないの。だから、まだ来ちゃダメだからね」
わたしと夫とは、歳が二十離れている。
そう遠くない将来、わたしはまた、大切な人から忘れられるのかもしれない。
記憶を持ったまま命が消えることと、命を保ったまま記憶を失われること。残される人間にとって、どちらがより辛いのだろう。
忘却は人が生きていくために必要なスキルだが、愛する人の意識から自分の存在を丸ごと失くすことは、愛する人が目の前からいなくなること以上に辛く、苦しい。
人は記憶で作られる。
わたしが保持するこの記憶の多くは、誰かとの思い出だったり、関わりで抱いた感情だったり、与えられた知識だったりする。あのときあの場所でこんなことがあったよね、と共有することができる誰かがいるから、わたしは、自分の記憶が本当にあったのだと思い知ることができる。そんなの知らないと言われたら、わたしは、わたしの記憶が確かにあったものなのかわからなくなる。
愛する人から忘れられる悲しみは、自分自身を失ってしまう悲しみなのかもしれない。
朝、目が覚めて、まだ大丈夫だと安堵する。
私は私を保っていられると。太陽が空高くに上がって傾きだすと、だんだん私は私を失う。
頭の中の靄が濃くなって、自分が何をしていたか、何をしたかったのか、何をしてきたのか、わからなくなる。
いつからなのだろうか。
夫が他界して、かつて家族で暮らしたこの家に一人で暮らすようになって、ふとした瞬間、自分がこの世で一人きりなのだと思う。一日中、誰とも喋らず、何に心を寄せることもなく、ただ漫然と時間が過ぎるのを待つ。波紋一つ作らない穏やかな暮らしと引き換えに、鱗が一枚ずつ剝がれるように、何かが湖の奥底に沈んでいく。
いや。私は一人ではない。遠く離れたところに娘がいる。
でもその娘とは、日々の暮らしの中で、何かを見て共に心を躍らせることも、美味しいものを食べて幸せを共有することも、寂しさを分け合うこともできない。私は一人だ。人は、一人で生まれ、一人で死んでいく。何でもない。ずっとそう思っていたし、夫にも娘にもそう言っていた。寂しいことを言うな、と夫は言った。でもそうじゃない、と吐き捨てると、夫婦のやり取りを傍らで聞いていた娘が鼻で笑った。
私は、そんな娘を愛することができなかった。
娘はいつも冷ややかで、何かにつけて私に盾突いた。長い子育ての中で、息子だったらと何度も悔いた。
私には、娘を産む前に、息子がいた。生後一年で突然天国へ逝ってしまった可愛い息子。
その子は、夫が名付けた。お坊さんみたいな読みにくい名前で、私は嫌だった。だから次に身ごもったとき、夫は、今度生まれる子にはお前が好きな名前を付けていい、と言った。私は、タツヤという名をあげようと思った。でも、生まれてきたのは娘だった。
娘は息子とは何もかもが違った。
乳飲み子の頃から、自我が強く、子どもらしくない子どもだった。託児所代わりに面倒を見てもらっていた家の奥さんからは「かんの虫がいる」と言われ、お灸を据えたほうがいいとアドバイスされた。
成長するにつれ、娘はどんどん気が強くなった。
女の子らしい遊びはせず、いつも男の子とばかり遊んだ。怪我も多かった。それは、実在しないタツヤを求め続ける私への、当て擦りのようにも思えた。
だから、ありもしないタツヤを見せ続けた。
何もない空間に向かって、「タツヤは可愛いね」と言い、「タツヤにだけあげる」と陰膳を据えた。
いつしか娘の心に、双子の弟、タツヤが生まれた。
でも私は、そのタツヤを否定しなかった。娘は心の中の弟と会話をしていた。それは、端から見ると、幼児が頭の中の妖精や友達と話すようなもので、子どもの成長過程においてはよく見られる行為だった。幼稚園の教諭から「サチコちゃんにはタツヤくんという架空のお友達がいるみたいですね。弟って言っていますが、ご存知でしたか?」と指摘されたことがあったが、「弟が欲しいのかしら?」と惚けて見せたら、「子どもには、そういうのよくあるみたいですよね」と、その後、特に問題視されることはなかった。
でも、娘が時々タツヤになることは、止めなければならないと思った。
「あなたはサチコ。タツヤじゃない」。
娘がタツヤになる度に、私はそう訂正した。繰り返し訂正し続けた甲斐があって、やがてそういう行為もなくなり、心の中に住み続ける弟タツヤとの会話も減っていった。
暫く消えていた娘の独り言が増えたのは、私の頭がおかしくなり始めた頃からだろうか。
ああ、そうだ。
私の頭はおかしくなってしまった。
母さんと同じように、私も呆けたのだろう。やがて、私は私を忘れてしまうのだろう。娘であった自分も、妻であった自分も、母であった自分も、教師であった自分も。
私に残された時間は、あとどれくらいあるのだろうか。
それまでに私はやらなくてはならない。これまで私が娘にしてきたことを、告白しなければならない。娘の中で確かに生き続ける息子のことを、静かに葬ってやらなくてはならない。
自分がしてきたことの愚かさを全て忘れることができるなら、呆けるのも悪くない。
でも、私だけ楽になっていいの? ノートを開く。娘に伝えなくてはならないことがたくさんあるのに、言葉が浮かばない。
何を書いたらいいの? 頭の片隅に落ちてきたものをノートに書きつけようとする。その言葉のしっぽを掴んで、それを記そうとしても、フワフワと文字が揺れて手の中から消えていく。
私、何を書こうとしてたんだっけ。そもそも何故、ノートを開いているだっけ。
……わからない。怖い。やらなきゃいけない。
でも何をやろうというのだろう。何度自分に問いかけても、何の答えも出てこない。涙が頬を伝う。ごめんなさいと強く思う。でも、何に詫びているのかわからない。ごめんなさい。ごめんなさい。ああ。どうしたら……。
【第十一話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『刺繍』第十話、いかがでしたでしょう。
きました、サスペンスフルな展開! もはやここで言うべきことは何もありません……「わたし」の頭の中の弟、もはや数分しかもたない母(「私」)の記憶と悔恨。次回をどうぞお楽しみに!
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