濱口竜介の大傑作「急に具合が悪くなる」

期待の濱口竜介の新作「急に具合が悪くなる」が素晴らしい。今年のカンヌ映画祭で主演女優二人が主演女優賞をW受賞して話題になった。3時間20分の長さを感じさせない。ストーリーも面白いし、主人公の一人が取り組む新しい介護の内容もとても興味深い。加えて演技や演出・撮影も大変にクオリティが高い。この10年ほどの日本映画最高の一本だと思う。

急に具合が悪くなる

監督:濱口竜介 出演:ビルジニー・エフィラ 岡本多緒 長塚京三 黒崎煌代ほか

「急に具合が悪くなる」とは不思議なタイトルであるが、この映画の元になったのは、日本人の二人の女性―ガンを患った哲学者と臨床現場研究を行う人類学者―の往復書簡をまとめた、同名タイトルの本である。

映画は、パリを舞台にして、高齢者施設の介護ディレクターであるフランス人女性マリー=ルーと、ソルボンヌ大で哲学を専攻し今は演劇の演出をしている日本人女性森崎真理の交流に変えてある。この変更が実に巧みで上手い。

マリーは、「ユマニチュード」と呼ばれる新しい介護技法を施設に取り入れようとするが、上手く行かない。ある日、小劇場で行われた、真理が演出するユニークな演劇を見ることで、解決のヒントを得る。
芝居の後のQ&Aで言葉を交わした二人が劇場を出て、セーヌ川に沿ってフランス語と日本語でお互いを語っていくシーンがまず素晴らしい。マリーは日本での留学経験(早稲田大で文化人類学専攻)があり日本語も達者だ。

この映画は、二つの言語を使って、二人の対話をじっくり聞かせる映画でもある。このシーンで二人がどんな人間か分かるが、以後も、二人の対話や会話が見ている側の観客にすーと伝わってくるのがいい。

その後、真理はマリー=ルーの働く施設「自由の庭」に行き、夜半、マリー=ルーの入居者に対する優しく誠実な仕事ぶりを見たりする。以後、施設で職員のワークショップが行われたり、真理が企画した演劇が行われたりして、二人の交流は進む。
マリー=ルーが取り組む「ユマニチュード」という介護様式が興味深い。この介護方法のポイントは「見る」「語る」「触る」「立つ」ということだ。この内容をマリーが介護を行いつつ、真理に説明していく。どれも成程と納得できる。認知症になっても、人間の知性や精神が残っているという考え方に基づく。

終盤、施設中庭で行われる「一人芝居」の最中に、あるハプニングが起きる。その時、この介護を受けた入居者たちが、人間性を回復した行為を見せるシーンは感動的だ。自分を重ね合わせ、遠くない将来、こういうケアを受けたいと思うが。

映画の大きな骨格は、マリーと真理の人間的な魂の交流である。二人は信頼して何でも語りあえる本当の友に巡り合えたという歓びを持つ。
映画には、二人が真理の故郷である京都丹波の田舎の家にやって来る場面もある。朝、二人が外に出て、山腹から遠くに見える実家を眺めながら語らうシーンは映像的にも美しい。長回しであり、夜が少しずつ明けていくのもとてもいい。朝ごはんとしてカップラーメンを持参するというのも、微笑ましくリアル。

脚本が練られていて、2人の長く続く対話も普通の会話もいい。実家で、日本の布団の敷き方を知っているかと真理が尋ねると、マリーが「日本にいた時、恋人がいたから分かる」と答え、真理が「新情報ね」と返すやりとりも自然でいい。

真理の演出するお芝居は日本人俳優清宮吾朗(長塚京三)が演じる独り芝居である。芝居のテーマは、イタリアには精神病院が存在しないことだ。このお芝居中に、彼の孫で自閉症的傾向を持つ若者の智樹(黒崎煌代)が闖入するというのが面白い。長塚は実際に早稲田大在学中フランス留学経験があるので、見事なフランス語を話す(因みに、大学演劇仲間に久米宏、田中真紀子がいた)。

2人の女優が本当に素晴らしい。マリー=ルーを演じたのがヴィルジニ―・エフィラ、真理を演じたのが岡本真緒。なお、岡本は元モデルでパリ・コレクションなどに出た人物である。もうひとり、「自由の庭」で、保守的だが仕事の出来る看護師ソフィー役のマリー・ビュネルも存在感がある。

見終わって何か清々しい印象を持った。施設の中では、「ユマニチュード」を巡って理想を求める経営者と現実的な介護者との対立や葛藤があったのだが(それぞれ信念がある)、少しでも理解が深まり、皆が前進しているからだ。その前進を示すのがラストに見せる看護師ソフィーの服装の変化だ。これまた、さりげなく、ニクイ演出であった。

(by 新村豊三)

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。エッセイ・小説・マンガ・育児日記など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter

スポンサーリンク

フォローする