【善財くんがゆく!】第七話 善財くん、世界の広さを知る:第一の善知識・徳雲比丘 (2)

善財は恐る恐る口を開いた。

「あなたが……徳雲比丘なのですか?」

「ああ、たぶんな」

「たぶん?」

「今ちょっと忙しくてな」

徳雲は空を見上げたまま言う。

「西の方で説法が始まった」

善財もつられて空を見た。

だが、
雲しかない。

「え?」

「おお、始まった始まった。
今日はずいぶん人が多いな」

徳雲は何度か頷いた。

まるで、
本当に誰かの話を聞いているようだった。

善財は眉をひそめる。

(……何だこの人?)

すると徳雲が、
ふいにこちらを見た。

「おぬし、
“同時視聴”という言葉は知っとるか?」

「どうじしちょう?」

「芝居でも見世物でも、
何でもよいが――」

徳雲は指を二本立てた。

「普通は、
ひとつ見ておる間は、
他は見えん」

さらに指を増やす。

「だが、
世の中には一度に百も千も見える者がおる」

善財は首をかしげた。

徳雲は笑う。

「言うなれば、
“全チャンネル同時視聴”みたいなもんじゃな」

善財は数秒黙った。

「……何を言ってるんです?」

「ワシにもよく分からん」

徳雲はあっさり言った。

「ただ見える」

そして再び、
どこか遠くを見る目になった。

「南の世界では、
今ちょうど、
菩薩がひとり泣いとる」

善財は息を呑んだ。

徳雲の目には、
冗談を言っている様子がまるでなかった。

善財は、
目の前の老人をまじまじと見つめた。

粗末な衣。

草履は擦り切れ、
袖口もほつれている。

どう見ても、
世捨て人のような山の老人だった。

だが――

時おり見せる視線だけが異様だった。

何かを見ている。

いや。

“何かたち”を同時に見ている。

そんな感じがした。

徳雲は、
ふいに右を向いた。

「あー……
そっちは今、ちょっと荒れておるな」

「え?」

「槍を持った連中が寺へ押し入っとる。
ありゃ止められん」

善財は思わず周囲を見回した。

もちろん、
山道しかない。

寺もなければ、
槍を持った人間もいない。

徳雲は今度は左を向く。

「おお。
こっちは綺麗じゃなあ」

少し嬉しそうに笑った。

「蓮が一面に咲いとる。
風まで金色じゃ」

善財は、
何も言えなくなった。

冗談を言っている顔ではない。

夢を語っている顔でもない。

まるで本当に、
“見えている”ようだった。

徳雲は再び善財へ目を戻した。

「おぬし、
“仏”というと、
どんなものを想像する?」

「え?」

突然の問いだった。

善財は少し考える。

「……悟りを開いた方、です」

「うむ」

「人々を救うために教えを説く、
偉大な修行者で……」

「うむうむ」

徳雲は頷きながら聞いている。

だが、
どこか上の空でもあった。

途中で急に、
誰もいない空間へ向かって手を振ったりしている。

善財は不安になった。

(大丈夫なのか、この人……)

徳雲は言った。

「では、
仏は何人おる?」

「え?」

「一人か?
二人か?」

「それは……
たくさんおられるとは思いますが……」

「“たくさん”では足りんな」

徳雲は笑った。

「今この瞬間にも、
数え切れんほどの仏が、
あちこちで説法しとる」

そして、
ぽんぽんと自分の頭を叩いた。

「で、
ワシはそれを見とる」

善財は固まった。

「……全部ですか?」

「全部」

「同時に?」

「同時に」

「そんなこと、
できるんですか?」

徳雲は少し考え込んだ。

「うーむ……
できるというか……」

困ったように頭をかく。

「気づいたら、
そうなっとった」

善財はますます困惑した。

山の風だけが吹く。

木々がざわめく。

鳥の鳴き声が遠くで響いた。

そして善財は、
正直に言った。

「……何ひとつ分かりません」

徳雲は腹を抱えて笑った。

「うむ!
安心した!」

「え?」

「分かった気になっておる顔だったら、
どうしようかと思ったわ!」

そう言うと、
徳雲は急に真顔になった。

「少年よ」

空気が変わる。

つい先ほどまで、
どこか掴みどころのなかった老人が、
突然、
底の見えない深さを見せた。

「世界は、
おぬしが思っておるより、
ずっと広い」

徳雲の瞳の奥で、
何かが瞬いた気がした。

星空のような、
無数の光。

「そして仏というものも、
ひとつではない」

善財は息を呑む。

徳雲は静かに言った。

「“正しい答え”をひとつだけ探そうとするうちは、
まだ入口にも立っておらんのだ」


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