善財は南へ向かって歩き続けた。
町を離れるにつれ、
道は細く、空気は静かになっていく。
人の声よりも、
風に揺れる草木の音の方が大きかった。
文殊菩薩の言葉を、
善財は何度も思い返していた。
――南へ行きなさい。
――妙峰山へ行きなさい。
――そこに徳雲という修行者がいる。
(妙峰山……)
善財は遠くの山並みを見上げた。
その中のどれかが、
きっとそうなのだろう。
数日後。
麓の村で道を尋ねると、
老人が山を指さした。
「ああ、妙峰山ならあれだ」
ひときわ高い山だった。
雲の中ほどまで突き刺さるようにそびえ、
山肌は深い緑に覆われている。
善財は礼を言い、
そのまま山道を登り始めた。
胸は高鳴っていた。
文殊菩薩が自ら名を挙げた人物だ。
きっと、
とてつもない修行者に違いない。
だが――
見つからない。
山道を登っても見つからない。
岩場を越えても見つからない。
谷へ降りても見つからない。
小さな庵はいくつもあった。
薪を割る老人もいた。
畑を耕す女もいた。
木陰で昼寝をしている旅人までいた。
だが、
「徳雲」という名を知る者はいなかった。
「さあなあ」
「聞いたこともない」
「そんな坊さんいたか?」
返ってくるのは、
そんな答えばかりだった。
善財は首をひねった。
(おかしいな……)
文殊菩薩が、
間違えるはずがない。
ならば、
自分の探し方が悪いのだろうか。
善財はさらに山を探し回った。
東へ。
西へ。
南へ。
北へ。
尾根を越え、
沢を渡り、
時には道のない斜面まで登った。
だが、やはりいない。
日が暮れた。
翌日も探した。
それでも見つからなかった。
三日目には、
さすがに不安になり始めた。
(オレ、
何か勘違いしてるんじゃないか……?)
五日目には、
半ば意地になっていた。
山頂近くまで登り、
息を切らしながら周囲を見渡す。
雲。
岩。
木々。
鳥の声。
それだけだった。
七日目。
善財は、
小さな山道の脇に座り込んでいた。
足は痛み、
喉は乾き、
頭もぼんやりしている。
もう、
どこを探したのかも曖昧だった。
風が吹いた。
木々がざわめく。
善財は力なく空を見上げた。
(……分からない)
そのときだった。
「何を探しておる」
すぐ後ろで、
声がした。
善財は飛び起きるように振り返った。
そこには、
ひとりの老いた修行者が立っていた。

粗末な衣。
伸び放題の髪と髭。
山の老人にしか見えない。
だが――
眼だけが妙だった。
まるで、
夜空そのものが覗いているようだった。
善財は思わず息を呑む。
老人は善財を見ている。
いや。
“善財だけを見ている”ようには見えなかった。
まるで、
遥か遠くの何かを同時に眺めながら、
ついでのようにこちらへ視線を向けている。
そんな奇妙な目だった。
「おぬし、
さっきから妙峰山じゅうをぐるぐる回っておったな」
老人は言った。
「え……あ、はい!」
善財は慌てて立ち上がる。
「徳雲比丘という方を探しているんです!」
老人は少し黙った。
それから、
妙に困ったような顔をした。
「ああ。
それ、ワシだ」
善財は固まった。

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