【 空腹限界 】
座禅をしている最中というのは、
・体:じっと座ったままで動かない。
・目:半眼でぼうっと前方下方を見ている。
・意識:余計なことを考えず雑念を追い払う。
……というわけで、人間はこのような状況に置かれると、ごく自然に「耳をすます」聴覚方向に意識が傾いていくように思う。
廊下を渡る足音が近づいてきた。はだしで廊下を歩く足音は独特の音を立てる。「ウグイスばり」ではないが、廊下の床がかすかに立てる音、ミシッとかギッという音で十分に「あ、お坊さまが来たぞ」とわかった。居眠りしているかずくんを起こさなければならない。
私はちょっと焦った気分で彼の方を見た。「おっ」と感心した(同時に安堵した)ことに、彼はすでに目を覚まし、正しい座禅態勢に戻っていた。
部屋に入ってきたのはいつもの若い僧だった。彼は例によって我々の近くに音もなく座った。ところが若い僧がなにか言い出す前に、(驚いたことに)かずくんが先に声を発した。
「お腹が痛いです」
若い僧は意表を突かれて驚いたのだろう。ハッとわずかに緊張した表情となった。
「どんなふうに痛いのかな?」
「お腹が減りすぎて痛いのです」
「減りすぎて痛い?」
「はい」
若い僧のけわしい表情はみるみる変化した。かずくんの言いたいことを理解した瞬間に笑いがこみあげてきたのかもしれない。しかしここでは(たぶん)笑い声を立てるなどもってのほかなのだろう。僧は笑いを噛み殺したようなけわしい表情となった。
「かずくん」
「はい」
「きみはどうしたいのかな?」
「なにか食べたいです」
「まもなく朝食だが」
「それまでがまんでけへんのです」
僧のけわしい表情は、みるみる冷たい表情となった。彼はしばらく無言でかずくんを見つめた。数秒の沈黙にすぎなかったが……その重い沈黙は私にとっても耐えがたい静寂だった。
「かずくん」
「はい」
「きみはここでのきまりを知っているはずだ」
「知ってます」
さらにまたしばらくの沈黙。
「ここで出すもの以外になにか食べたいのなら、山を降りてもらうしかない」
かずくんは黙ってしまった。僧はゆっくりと立ち上がった。私は夢中で声を発した。
「ふたりでがんばってみます! もう少しここに……」
僧は立ち上がった私を見てかすかに笑ったような気がした。…‥が、背を向けて行ってしまった。
まさかの展開。私は混乱した。
かずくんはここでの生活を数回やってきたはず。ここでの決まり事をもう十分に知っているんじゃなかったのか。
私は立ち上がったまま呆然と彼を見た。彼は座ったままがっくりと上体を倒していた。涙を誘うほど落胆した姿だった。
私は彼の肩に手を置いた。
「なにを食べたいねん」
顔を上げた彼の目から涙が流れた。
「もうあかん」
それ以上は声にならなかった。彼は限界に来ていた。それは8歳の私にもよくわかった。
私は足を投げ出してペタンと座りこんでしまった。座禅も、ここにいることも、なにもかも、もうどうでもよくなった。
「こんなアホな山、降りたろか!」
私は大声を出した。大声でわめくことが気分よかった。
「な、こんなとこ、さっさと出て山を降りよ!」
【 後日談 】
ここから先の話は、その後、9泊が経過して「禁欲の山」から解放されてしばらく後、私の実家に飲みに来た篠田先生が(笑いながら)話してくれたことである。
じつはかずくんは(普段から)極度に空腹ががまんできない少年だった。肥満の子にそうしたタイプは多いのだろうか。そのあたりはよく知らないが、彼は(以前から)比叡山に放りこまれた時は、リュックサックの中にビスケットを隠し持っていた。昨年も、一昨年もそれをこっそりと食べて、かろうじて飢えをしのいでいたのだ。空腹がどうにも我慢できなった時にビスケットをかじるのが、彼にとって唯一と言っていい「山の楽しみ」だったのだ。
ところが今年は私が加わることになった。「しっかりとお手本を見せてやれ」と父親である篠田先生からも言いつけられていた。ビスケットを隠し持ってくることはあきらめざるをえない状況に彼は追いこまれた。ビスケットなしで10日間も空腹をがまんできるのか?……その不安が彼を常に襲っていたのだ。今回のエピソードで私がくり返し述べてきた「私には理解できない彼の緊張」は、じつは私がいつもわきにいるということがその一因だったのだ。
一方の私は「空腹なんか全然平気」という少年だった。その頃の私は、夏休みといえば捕虫網を振り回して一日中野原で蝶を追いかけている少年だった。そうした趣味の少年にとっては、空腹など全く眼中になかった。腹がへっても、その方が早く走れると考えるような少年だったのだ。なのでかずくんのような肥満少年が恐れる空腹の心配というか恐怖というか、そうした不安は全く理解できなかった。
【 つづく 】