【 セーヌ河沿いの露店 】
ルーブルに行った翌日、つまりパリに着いてから4日目あたりから、無性に日本語で会話がしたくなった。私は平素から無口な男だが、日本で普通に暮らしていて無口でいる生活とは全く異なる「会話渇望感」とでも言おうか、とにかく日本語で人と話がしたくなったのだ。
「あれは日本人ツアーだな」と即座にわかる団体さんは、この数日間に何度か見かけた。ルーブル入口にあるガラス製ピラミッドの周囲には、日本人団体さんが数組いた。しかし近づいていって「日本人ですね」と話しかける気分にはならなかった。特段の話題があるわけでもないし、また彼らは旗を掲げたコンダクターを先頭にゾロゾロと移動中であり、のんびりと雑談しているような余裕はないように思われた。それにコンダクターから不審の目で見られるのも嫌だった。結局、ルーブルでは日本語を発する機会はなかった。
機会は意外な時にやってきた。
私はセーヌ河に沿ってのんびりと散歩を楽しんでいた。特にどこに行くというあてはなく、ただセーヌ河界隈の景色を楽しんでいたのだ。
セーヌ河には大型の遊覧船が往来していた。「これはちょっと乗せすぎだな」と思うほどに大勢の観光客が乗船していた。橋の中程から真下を通過する遊覧船を眺めていると、私に向かって手を振る少女がいた。私も手を振って応じた。

セーヌ河沿いには、ずらりと露店が並んでいた。数えたわけではないが、私が散歩している側にざっと50店ほどあった。対岸も同様だ。古書がメインのようだが、絵葉書、切手、小さな額縁絵画作品、古い写真、そうした細々したものを並べて(あるいは板にぶら下げて)売っていた。
ある露店の前で私は足を止めた。その店は古書に加えて小さな額縁や画材を売っていた。
「へえ、露店で画材というのも珍しいな。さすがはフランス」と喜んで、色鉛筆やパステルや小型のスケッチブックなどを物色した。
「こんにちは」
いきなり聞こえてきた日本語にかなりびっくりした。見ると、細々とした商品が並んだ背後の暗がりから立ち上がった女性がいた。当時の私は35歳だったが、その私よりももう少し年上の、たぶん40歳〜45歳頃のスレンダーな日本人女性だった。黒くこざっぱりしたボブ。黒いハイネック。黒いトレンチコート。真珠のネックレスが印象的だった。立ち上がった瞬間に私よりも背が高いことがわかった。
「こんにちは」
私も挨拶を返した。
「なんとこんなところで、日本人から声をかけていただいたとは驚きです」
「じつはこの店は私のルームメイトの店なんです」
魅力的な低い声だった。彼女の名前を仮に「佳代子」としよう。佳代子さんはルームメイト(フランス人女性)とふたりでこの店をやっていた。今朝もふたりでここに来て店を開けるつもりだったのだ。ところが今朝のルームメイトは体調を崩していた。軽く発熱していた。体もだるいと言う。店を休んでも良かったのだが、いいお天気だしルームメイトも「私に構わないで行ってちょうだい」と言うので、店を開ける気分になって出てきたのだ。帰りになにか惣菜と風邪薬を買って帰るそうだ。
私の他に客は来なかった。誰か客が来たら私は引き上げようと思っていたのだが、来ないのを幸い、15分ほど雑談をした。久々で日本語で会話できたことがじつに嬉しかった。小型のスケッチブック(F3/20フラン/¥400)を買って引き上げようとしたら、彼女は名刺をくれた。
「モンマルトルには行った?」
「いえ、まだです」
「あそこは面白いわよ。ぜひ行ってみて」
「画家が集まる広場があるとか」
「ええ。テルトル広場。面白いわよ」
「わかりました。明日にでも行ってみます」
「ウロウロ歩きながら勝手にクロッキーをしている連中もいるけど、そういうのは相手にしちゃダメよ」
これには笑った。
「クロッキーの押し売りですか。さすがはフランス。気をつけます」
明日はオルセーに行こうとなんとなく思っていたのだが、ルーブルでうんざりするほど超一流作品を見過ぎたせいか、「しばらく美術館はいいか」といった気分でもあった。オルセーはやめてモンマルトルに決めた。ずらりと並んだ超一流作品よりも、雑多にイーゼルを立てて絵を描いている庶民レベルの画家作品の方が面白そうだった。
【 つづく 】

