絵本の文章を書く1「絵本の文章作家はなぜ少ないのか?」

ぼくは絵本の文章を書く作家である。こういうひとは案外少ない。
編集者から「絵本の文章を書ける人が足りない」と言われることがある。「絵を描ける人はたくさんいるのに」と続くこともある。
ぼくは意地が悪いから「探す努力はしてますか?」と訊いてみたりする。自信を持って「探してますとも」と答える人はほとんどいない。
イラストレーターの作品はなにやかや露出の機会があるものだが、プロでない文章家の作品はほとんど目に付くところに出てこないから、探そうにも難しいのかもしれない。

ぼくは絵本の文章を書く人が少ない理由はわかる。詩や小説を見ればわかるとおり、文章というのはそれだけで完結しうる表現手段なのだ。文章(ことば)が好きな人ならまず表現したいことの全てを文章で表現してみようとするのは当然だろう。
絵も同じくらい好きな人は絵本を考えるかもしれない。音楽も同じくらい好きな人は作詞作曲を考えるかもしれない。
なんといっても文章が好き、という人は絵本という存在が頭に浮かばないのだ。子ども向けなら童話や児童文学が浮かぶ。ぼくがそうだった。

たまたま第1回で書いた『ながいながいへびのはなし』のアイデアがひらめき、絵と文を組み合わせて表現する面白さを知ったから、突然絵本が大きな存在になった。「そうだ、絵本があったんだ!」という感じである。
何かこういった出会いがなければ、文章家は絵本の世界に入ってこないと思う。入る理由がない。だから絵本の文章作家は少ないのだ。

神宮球場 阪神対ヤクルト

夏の終わりの神宮球場。記事とは関係ありません。

きっかけがあっても続くとは限らない。『ながいながいへびのはなし』だけ絵本として作り、あとは文章のみの作品に戻る道だってあったかもしれない。
しかし実際には絵とことばを組み合わせる面白さはぼくを心底魅了してしまって、試してみたいアイデアが次々生まれ、20年近くたった今も絵本を作っている。
気づいていなかっただけで、もともと向いていたのだろう。「ながいへび」が気づかせてくれたのだ。

児童文学を書いていたとき、どうも理屈っぽくなるなあと感じていた。欠点だとの認識はあったがなかなか直らなかった。小手先のことでなく性格から来るクセだからだろう。
絵本を作るようになってから、絵と一緒に考えることでそこが自然と矯正された気する。
絵本の文章が短いのもいい。ぼくは長く書くとだんだん理屈っぽくなってくるが、短いと本当に大事なことだけすっと出して、あとは読者にゆだねることができる。

自分にあったジャンルを見つけるのはとても大切だ。偶然ではあったけれど絵本と出会えてよかったと思う。文章のみの作品を書き続けてもたぶんものにならなかった。

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「絵本作家の仕事」次回から月曜更新となります。次回は9月4日の予定です。

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