魔 談【 魔の工房15】(最終回)

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この奇妙な結果に終わったバイトの後、日常生活に戻ったぼくは、大学での石膏デッサンと男子寮での幻想絵画制作に没頭した。しかし数日後に「この一件は記録しておきたい」と考え、クロッキーブック7枚を使ってあれこれと書いた。様々な光景をありありと思い出し総毛立つ思いもしたが、存分に書いてしまうともう「一件落着」気分だった。1週間ほど経過した頃には思い出すこともほとんどなく、10日ほど経過した頃にはずいぶん以前に起こった出来事のように感じた。意識して忘れようとしたわけではなかったが、「石膏デッサンの陰影が思うように表現できない焦燥感」とか「制作中の絵画作品が頭の中のイメージとどこか異なる違和感」で日常的な思考回路はすっかり忙殺されており、それ以外のことなど全くどうでもいいような生活だった。

このバイトの後、ダザイともミシマとも連絡をとることはなかった。住所も電話番号も知っていたが、まだ携帯など存在しない時代である。「電話をかける」という贅沢な行為など「1ヶ月に一度あるかないか」といった生活だった。
ところが驚いたことに、ダザイとぼくはまだ縁が繋がっていた。

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この一件から4年後、ぼくは大学を卒業し、広告代理店に入社してお勤めデザイナーとなっていた。夏にスケジュールが立て込んで休暇を取れなかったぼくは、10月にその休暇を全部使って穂高に入った。すごく楽しみにしていた山中3泊のテント生活だった。しかし出発日もその翌日も雨だった。こればかりはどうしようもない。

その日、朝からずっと降り続く雨にうんざりしたぼくは、昼過ぎになって「こりゃ今日も1日、だめだわ」と見切りをつけてテントを出た。10分ほど歩いたところに山小屋がある。そこで缶ビールでも買ってテントに戻るつもりだった。
山小屋は混んでいた。雨で予定を変更せざるをえなくなった入山者たちで出入り口も売店も混雑していた。ぼくはクーラーから500ccの缶ビールを2つ出して売店のレジに並んだ。並びつつ売店脇のテーブルで飲んでる男をふと見た。かなり疲労しているらしい。ややうつむいた前髪の先端からポタッと水しずくがテーブルに落ちた。「……どっかで見たような」と思った。むこうもふと頭を上げてこっちを見た。ほぼ同時に「あっ」と声を発した。

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売店脇で飲み会となった。互いの近況や穂高の話で、盛り上がったり笑ったり。ひととおりのたわいない話題が尽きたころ、彼の方から切り出した。
「……じつはあの後」
彼は助教授の指示や態度がどうにも許せなかったらしく、なんと教授に手紙を書いた。教授の名刺を持っていたので、その大学研究室宛に手紙を送ったのだ。しばらくして返事が来た。「助教授の指示につきどうも不審な点が多いので、問いただしてみる」という内容だった。
「それで?……どうなった?」
興味津々でその結果を聞いたのだが、彼は悔しそうな表情で首を横に振るだけだった。その後はなんの連絡も来なかったらしい。
「そっか。……まあ、気を落とすなよ」

ところが彼はそれでもあきらめなかった。なんとひとりで現場に行った。これには驚いた。
「現場に?……第2現場にひとりで行ったのか?」
微笑してうなずく彼をまじまじと見て、ぼくは唖然とした。
「いったい……なんのために?」
「あそこでなにがあったのか……まだなにかわかるような気がして」

「これはもちろんぼくの推論なんだけど」と前置きして、彼は語った。
世にも恐ろしい光景だった。さらわれた子供たち。その男は最初から殺すつもりだったのだ。殺してどうするのか。大きなビンがいくつもある。特殊な液体が満たされている。死体はバラバラに切断され、手のビン、足のビンという具合に分けて保存される。その後、男は複数の死体を使い、得体のしれない怪物をつくる。男は夢中だ。これが楽しいのだ。出来上がったものは再びビンの中に入れられる。余ったものは……
「……あそこに埋めたというのか?」
彼はうなずき、ぼくは黙った。周囲の喧噪がふっと遠のいてゆくような、奇妙な気分だった。ぼくはなにかを言おうとしてあらためて彼を見たのだが、言葉にならなかった。
「……何度か行ったのか?」
彼は黙っていた。たぶん数回は行ったのだろう。
「……まさか」と思ったが、なにも言えなかった。

………………………………………………( 完 )

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