誰かのために 第十六話

【第十六話】

正式にコンプライアンス委員兼政策アドバイザーを拝命された、小田原泉を含めた話し合いによって、一部の町民に届いた怪文書については、個人の名誉を損なう恐れのある行為として、「町として厳しく対応すること」、「町内で火災があったことは事実だが、既に警察の検証や捜査が進んでおり、今後も、町は捜査への協力を惜しみなく提供すること」、「文書に書かれていた犯人云々のことはあくまでも憶測にすぎず、町民は、そのような内容に惑わされることなく、くれぐれも無責任な情報拡散などはしないこと」というのが、町のホームページ上で表明された。

ところが、町の思惑とは裏腹に、このことは、SNSを始めネタを求める飢えたマスコミによって結果として拡散され、やがて松野の耳にも届いた。

「困るんですよね。柏の宮町の人たちには、ホント迷惑してるんです。当然、私は潔白ですよ。林檎の木? なんですか、それ。うちには、あちらの町とは違って、工場誘致も盛んですし、多様な産業があります。幻だかなんだか知りませんが、そんなものにこだわる必要は全くないんです。そもそも、そこが焼け野原になってどんないいことがうちにあるっていうんですか? 意味が分かりません。これだから、突出した産業のない町っていうのは困ります。人の足引っ張ってる暇があるのなら、もっと魅力的な町づくりをしてもらえませんかねえ……」

押しかけたマスコミのカメラに向かって発言する松野一が、昼休みの定食屋で、病院の待合室で、スポーツジムのランニングマシーンの前で、面白おかしく脚色されたテレビに映し出される。
それを見た柏の宮町の人たちは、その侮蔑的な態度に反発し、中には、SNSに脅迫まがいの罵声を書き込む輩まで現れた。

そんな最中だった。
二つ目の怪文書が、今度は、主にSNSを利用する若者世代に向けて、町内の小中学校、高校全校に送り付けられた。

『町の片隅で、人知れず、地道に、幻とされる美味なる林檎を生産していた老夫婦から、欲で溺れた薄汚い政治家がその宝を略奪しようとしている。林檎を死守したおじいさんは、瀕死の大怪我を負わされた。こんな蛮行は断罪すべき。松野一は、死をもって詫びろ!』

中には、ただ送り付けられただけでなく、校門の壁に無数に貼られた学校もあった。
子どもたちの目に触れる前に処分できた学校もあったが、その多くは、子どもたちに知られることとなった。
中には、怖くて泣きだす子や、学校に行きたくないと言い出す子、もっとやれ!とけしかける子、隣町の知らない大人をどうやったら懲らしめることができるのか必死で考え出す子が現れ、現場は混乱し、落ち着いて授業ができるような環境ではなくなってしまった。
こんな町ではちゃんと子育てできぬと、町から外へ転出を検討する家族まで出始めた。

「困りましたね。どうしたらいいのか……」

騒動に対応するべく、柏の宮役場の会議室には、前回のメンバーに加え、役場の広報担当、生活環境課の課長、議会事務局から事務局長、書記係、教育委員会の委員長、町議会から、三期目のベテラン町議二名、二期目三名が集っていた。

「梅木さんは、窮地に追い込まれたたくさんの自治体をその手腕で救ってきたじゃないですか。今回もお願いしますよ」

よそ者の梅木が政策秘書として採用されることを最初からよく思っていなかった議員が、ここぞとばかりに揶揄する。梅木は「そうですね」と言ったまま、俯いたままだった。

「まあまあ皆さん。いくら梅木さんが百戦錬磨とはいえ、さすがにこんなことは、そうそうあるものではないでしょうから。みんなで考えましょう。それにしても、松野さんは、どうしてこんなに煽るんでしょうね。困ったもんですねえ。悪い人じゃなんだけどなあ……」

竹林寛はここにきても、善人の仮面を外そうとしない。

「小田原先生、何か妙案がありませんか?」

本を正せば、この状況は、竹林が、自分自身、それが何かもわからないまま蒔いた種が、時期を異にしながらあちこちで芽を出し、収集がつかなくなったために生じているとも言えるのだが、そのことに、竹林寛は全く気付きもせず、あくまでも他人事だ。
その態度に内心苛立ちを覚えながらも、努めて冷静に、小田原泉は静観することを提案した。

「こういう挑発には、乗らないことが一番の策です。大人が毅然と正しいことをするのを見せることが、子どもたちにとっても一番の見本になると思いますし、心の平穏を取り戻すことにもつながると思います。人を殺すことはもちろん、死を強要することは、いかなる時でも許されることではないのだから」

「そうは言っても、実際、受験を控えたお子さんをお持ちの親御さんにとっては、そんな悠長なことを言ってられないと思います。竹林さんが言い出したダイバーシティの影響もあって、もはやこの町では、こういう過激なことも許されちゃうんじゃないかって思って、ざわついてるんですよ。この町の人たち。あれからずっと」

「そうそう。思いやりとは真反対のほうへ、進んでますからねえ。みんな自分のことしか考えていなくてねえ。いっそ竹林さん、ここらで辞任したらどうです? 責任取って。ハハハ」

竹林寛に対して、元々非協力的で、陰でリコール運動を進めていた数名の議員たちが、この機に乗じて竹林寛に辞任を迫る。
肝心の竹林寛は、「いやあ……参ったなあ」と斜めに頭を垂れるばかりで、まさに暖簾に腕押しだ。

会議室に膠着した時間が流れる。

騒ぎがこれ以上続けば、住民の流出どころか、例の肝煎りの道の駅構想も資金調達が困難となり、海の藻屑と化す。事実、議会の承認を得て始まろうとしたクラウドファンディングは、一旦保留となったまま再開する目処が付いていなかった。

「先生が仰るように、犯人捜しは警察に任せて静観していれば、いつかはほとぼりも覚めると思うんですけど、このままじゃいつになっても事業が進まないし……。皆さんも、納得されませんよね。それに、今このタイミングで町長が辞任するというのは、あまりにも無責任だと思いません? それこそ町のイメージダウンです」

何も言わない竹林寛に代わり、梅木浩子が嫌味を言う議員たちを牽制する。

「むしろ今は、こんな騒ぎに振り回されることなく、粛々と、町長と議員、我々職員たちが一丸となって、これまで取り組んでいた施策を継続して進めましょうよ。クラウドファンディングのほうは、一旦始めると期限もあるものですし、今はちょっと動けないんですけど、とりあえず、新年度からの本格再開に先立って、思いやりアプリの限定版のリリースを早めようと思っています。本格的な再開の前に、不具合などの調整も必要ですし、町としての取り組み姿勢を見せることで、町の皆さんの安心材料にもなると思うんです。それに、今度こそ失敗はできないので」

「それ、まだやるの? 押し通すねえ。でもさあ、思いやりとは真反対の状況の今、それは厳しいんじゃないかなあ」

「確かに今は、タイミング的に最悪かもしれません。でも、これは町長の公約だし、竹林さんが当選したということは、町の人たちがそれを求めた、ということでもあります。それに、新年度の再開は、決定事項です。既に、再開式典の計画も進めています。国から来賓も招聘しています。今はとにかくこの状況を、少しでも変えて、前に進むしかないと思っています。どうか皆さん、この町のために、無垢な心で開発した中学生のために、アプリの再開にご協力いただけないでしょうか?」

反竹林派の議員たちが、アプリの再開を快く思っていないのは、この数分のやり取りと、彼らの表情で明らかだった。

「うーん。具体的に、それ、いつなの?」

「年明けには」

「えーっ。年末年始の休み入れると、あと二週間あるかないかだよね。無茶だよー」

その場にいた男たちから、一斉に非難の声が上がる。

「それはさすがにちょっと無理じゃないかなあ、梅木さん」

肝心の竹林寛までもが、呆れた様子で水を差す。その姿を見て、

(じゃあ、一体いつなら……)

小田原泉は、込み上げてくる言葉を呑み込み、竹林寛の言葉が続くのを暫し待った。
でも、竹林寛はただヘラヘラと苦笑いをするだけで、その先の言葉を持っていないようだった。

議論の場で、誰かの意見を否定するならば、否定するだけの根拠と、最低限の代替案を出す必要がある。そのいずれもないのであれば、その否定は自分の中だけに留めるべきだ。

自分の思いつきを、必死で具現化してくれる人がいる。自分は何もせず、ただ、丸投げしているだけで、幼稚な思いが形になる。
何も考えない、何もしない、無策の長ができることは、ただ一つ。責任を取ること。それはもはや〝できる〟という可能ではなく〝ねばならない〟の義務だ。

丸投げには丸投げなりの流儀がある。

自分の代わりに誰かが必死で積んだ積み木を、これといった理由もなく崩す。
そして、再び積み上げもしない。仕事はおろか役割さえ遂行できない、こんなやつはクソだ。

我慢できなかった。
自分の考えを具現化しようとする人間に対する敬意のない竹林に、小田原泉は、心の底から腹が立った。だから言った。

「やってみましょうよ」

【第十七話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

おお、小田原泉、ついに立ち上がった!
というか、立ち上がらされたというべきか……まったく行動力も責任感もない町長と町議たちの中で戦う梅木浩子の姿を見てしまっては、他に選択肢はありません。マンションのレンタルルームから始まった不穏な空気が溜まりに溜まって発火です。今後の展開に、どうぞご期待ください。

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