
【第四十八話】
鶴子が明科駅で保護されたという連絡が章子のところへ届いたのは、9月29日の夜の7時半過ぎだった。
その日の朝、鶴子の通院のために章子が実家に着いたら、車がなくて二人もいなくなっていた。二人の携帯に、何度も電話をかけたけれど出なくて、そのうち、電源が切られた。
章子は新一にも相談し、今日一日様子を見て、それでも何も連絡がなかったら、警察へ相談しようと思っていた。
夜、子どもたちにご飯を食べさせ、後片付けをしているとき、会社の携帯が鳴った。
こんな時に仕事はできない、と思いながらも、休日出勤を言い渡されたのに介護を理由に休んだ負い目もあって電話に出ると、相手は会社の人間ではなく、長野県警からだった。
明科駅で降りた老女が、駅員に「バス停はどこだ?」と尋ねた。
彼女が言う路線バスは、もう何十年も前に廃止になった路線で、「そんなバスはもうない」と伝えたところ、老女は泣き出したというのだ。その後は何を聞いても、ただ泣いているだけで、答えない。そこで、駅員は警察に身柄を引き取ってもらうことになった。
警察に行ってからも、老女は子どものようにずっと泣いていた。
仕方なく、彼女の持っている鞄を調べたところ、中に、章子の名刺が入っていたので、かけてみた、というのだ。
「お母様である可能性が高いですね。名刺を見せて〝この人誰?〟と尋ねても、首を横に振るばかりで……。電話してよいものか、不安だったんです。よかった。ご家族で。迎えに来て頂けますか?」
電話を切ってすぐ、章子は、取る物も取り敢えず、鶴子が保護されている安曇野にある明科交番へと向かった。
町田駅まで新一に車で送ってもらい、八王子、松本と電車を乗り継ぎ、23時過ぎには明科駅に到着することができた。
交番は駅から歩いて1分のところにあった。章子の顔を見ると、鶴子はくしゃっと笑った。
「よかった。お母さん、娘さん来たよ。……安心したんですね。初めて笑顔になりましたよ」
「ところで、母は一人で電車に乗ってきたんですよね?」
「ええ。駅員からはそう聞いてます」
「あの……。父もいなくなってるんです。一緒じゃなかったでしょうか?」
「いなくなってる?」
「はい。今日一日様子を見て、何も連絡がなかったら、明日、警察に相談に行こうと思ってたのですが……」
章子は、朝から二人が行方不明になっていたことを話した。
「そうだったんですか……。お二人は車で出かけた、ということなのですね?」
「はい。おそらく。父が運転して」
「そうでしたか。車の番号はわかりますか?」
「はい。ちょっと待ってください。……これです」
章子は朝、車ごといなくなってるのを知り、実家で書類を探し、満男のディーラーに問い合わせた。万一のために、車のナンバーは控えておいたほうがいいと思ったのだ。
そこで、前日満男がディーラーに訪れたこと、運転支援アシストについて尋ねて行ったことなどを知り、二人が車に乗って遠くへ出かけたことを確信していた。
「ちょっと見てみますね」
警察官はそう言い、端末を操作して何か手がかりがないか調べた。
「うーん。特に事故とか、そういうのはないみたいですね」
「そうですか。それならよかった。……ところで、母が乗ってきた電車というのは、松本へ行く電車ですか? それとも、長野?」
「えーっと、松本行きの電車だと聞いてます」
「ということは、長野のほうから来たということですよね?」
「そうですね」
「母の実家が生坂村なので、どちらかと言うと、親戚も松本寄りにいるんですよ。長野のほうには、あまりツテがないと思うので、何しに行ったんだろう、って……」
「さあ……。私たちには、ちょっとそれはわからないですね。お母様に直接お尋ねになってみては。……あ、眠いかな?」
章子たちの横で居眠りをする鶴子を起こして、章子は尋ねた。
「お母さん、今日は朝から、お父さんとどこ行ってたの?」
「うーん……。わからないわよそんなの。ここ、どこ?」
「ここは明科の交番よ。お母さん、迷子になったから保護してもらってたのよ」
「……そうなの?」
「そうよ。じゃ、お父さんがどこ行ったかも、わからない?」
「お父さん? いないの? お母さん、知らない」
章子は鶴子を連れて交番を出た。
その夜は章子が電車の中で手配しておいた、豊科駅前のビジネスホテルに二人で泊った。ホテルで新一に連絡して、満男の捜索願を出したことを伝えた。
新一は「車があるほうが便利だから」と、翌日車で迎えに行く、と言った。
新一たちが子供たちを連れて、章子と鶴子が泊まるホテルに到着したのは、翌30日の朝の11時過ぎだった。
「ママ、パトカーに乗ったって、ホント?」
章子たちに会うなり、空が目を輝かせて尋ねてきた。
「そう。夜遅くて、電車もなくなっちゃってて、タクシーも捕まらなかったから、お巡りさんがこのホテルまで送ってくれたの」
「えー、いいなあ。空もパトカー乗りたかった」
「バカね。パトカーは、悪いことした人が乗るの」
萌が呆れた顔をして、無邪気な弟を嘲った。
「ええっ。じゃあ、ママとばあば、悪いこと、したの?」
「違うわよ。悪い人も乗せるけど、困ってる人も乗せてくれるのよ」
「お母さん、何か思い出した?」
新一が尋ねた。
「それがね……朝、聞いたんだけどね。何にも覚えてないの。それどころか、今、自分がどこにいるのかも、よくわかってないみたい」
「そうか……。警察からは連絡は?」
「何もない。どこ探したらいいのか、見当もつかないよ……」
「ねえ、せっかく信州に来たんだから、どっか行こうよー」
重い空気を切り裂くべく、空が無邪気に言った。そんな弟を萌は鼻で笑った。
「じいじが行方不明になってるんだから、探さなきゃダメでしょ」
「ちぇっ。あ、マックだ。お腹空いた。月見バーガー食べようよ」
「朝、食っただろう?」
「だってお腹空いたんだもん。お姉ちゃんも食べるでしょ?」
「確かにちょっとお腹空いたかも……。もうすぐお昼だし」
「そうか。もうそんな時間か」
「……月見? ばあばも昨日、お月見したわよ」
「えっ。どこで?」
「姨捨よ。あそこ〝田毎の月〟って言ってね、有名なのよ。たくさんの棚田にね、お月様が映るの。すごい綺麗なんだから」
「昨日、行ったの? そこに?」
「うん。行った。あれ? 昨日だったかしら? どうだったかな?」
章子は新一と顔を見合わせた。
とりあえずそこに行ってみようと決めて、カーナビに『田毎の月』を入力しているところに、章子の電話が鳴った。
千曲警察署からだった。満男が交通事故を起こした、という連絡だった。
【第四十九話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第四十八話、いかがでしたでしょう。徹夜明けの満男の車がどうなったか、もう知った上で読み進めてもジワジワ、ソワソワ、ハラハラ……しませんでしたか。私はしました。そしてポツポツと垣間見える老夫婦のお月見ドライブの断片が切ない。鶴子が見つかりほっとしたのも束の間、別の警察署からの衝撃的な知らせに章子は? 次回もどうぞお楽しみに。
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