雨を待つ布1

ひんやりとした乾いた風が、昨夜の雨を空へと戻す。雨上がりの朝。空は薄いベール状の雲で覆われていた。

やっと終わった。
あの大きなイベントが。恵美子は安堵していた。

確かに体は疲れている。それでもやり遂げたという思いは、そんな肉体の疲労を凌ぐ、はずなのだけど。
不完全燃焼のようなすっきりしない何かが、燃えかすのように恵美子の心に残っていた。

 

盛岡では、この秋初めて〝北のまちクラフトフェア〟という、工芸作品の展示即売会が開催された。
元々岩手には、南部鉄器をはじめ、木工、漆器、織物、型染など、工芸が根付いている。柳宗悦によって提唱された民藝運動とも縁が深い。
新たなイベントの開催は、「工芸のまち」としてのブランド化を推進し、観光客を呼び寄せるきっかけを求めていた市の思惑にも合致したのだ。

 

今となっては全国各地で様々に開かれるクラフトフェアだが、その草分け的存在であり、かつ最も格式が高いとされるのは、長野県松本市で毎年5月に開催される〝クラフトフェアしんしゅう〟だ。

出展するための選考には、信越に限らず全国各地から数多くの工芸作家が応募し、概ね5倍の狭き門を潜り抜けねばならない。
厳選された工芸作品を求めて、地元のみならず県外からも、数多くのクラフト愛好家や目利きのバイヤーたちが毎年数万人集まる。作家にとっては、販売し知名度を上げる場所というだけでなく、「しんしゅうに選ばれた」という箔を付けることができる場所でもあった。

盛岡市で今回初めて開催されるクラフトフェアは、そのしんしゅうの関係者が選考委員を務めるとあり、開催前にも関わらず、愛好家たちから熱い視線を注がれていた。
そしてそこには、恵美子の眼差しも含まれていた。

それは、恵美子にとっても思い入れのあるイベントだった。
学生時代、旧友を訪ねて足を運んだまさにあの地で、恵美子はクラフトの楽しさや奥深さを知り、その世界に足を踏み入れることになったのだ。
だからこそ期待もしていた。自分の住む街に、あの時あそこで見た、あの光景が広がるのであればと、支援したのだ。

 

でもやがて、その希望は失望へと変化した。

出展枠には工芸の種類によって、幾つかのジャンルがあった。
だがその中に、長年恵美子が打ち込んでいる〝ホームスパン〟はなかった。仲間の中には〝染織〟の枠で応募する者もいたが、恵美子はしなかった。

家で紡いだ手紡ぎ糸のみを使って織る布。それがホームスパンだ。
織る前に羊毛を染めたりもする。だから、染織の枠に入る。

でも違う。恵美子は釈然としなかった。
その言葉からは、毛を紡ぐ時間の流れや、毛の温かさや柔らかさ、含まれる空気の層を感じることができない。ホームスパンは、やはり〝ホームスパン〟なのだ。

ましてやここ盛岡は、ホームスパンの聖地と言われている。
その街で行うクラフトフェアなのに、その枠がないなんて。

ホームスパンでは、織らずに、紡いだ糸を編み物用の糸として販売することだってある。それはどの枠に入るのだろうか。そもそも、編み物のジャンルもないではないか。

 

「編み物は工芸じゃなく、手芸らしいですからね」と、千与子が言った。

恵美子は、盛岡市内で小さな織物教室を開いている。
ずっと物置になっていた、自宅の離れにある小屋に少し手を入れて、教室を始めるようになったのは6年前。その年、堀が他界した。大学の教授が着ていた手織りの上着の風合いに一目惚れをし、その工房を訪ねて行って出逢って以来、ずっと師と仰いできた堀が。

その死を受けて、長年属していた堀の工房から恵美子は独立した。
千与子は、そんな恵美子の教室にやって来た、初めての生徒だった。

「それもなんだか、モヤモヤするのよ。よく言われるけどね」

 

我がまち初のクラフトイベント開催に際し、恵美子は、かつて所属していた工房のメンバーと共に染織担当として、他の工芸ジャンルのスタッフ同様、応募作品を選考するための数々の段取りを整え、主に外部から来た選考委員たちを接待し、選出された出展者への連絡や対応、他部門の担当者との調整作業など、イベントにまつわる様々な裏方作業をこなしてきた。
イベント当日も、主宰する織物教室から生徒を送り出すとともに、自分自身も運営の手伝いとして動いた。

これに関わるようになって1年弱、自分の仕事は、ほとんど手が付けられなかった。
せっかく地元で開催するこんなに大きなイベントなのに、出品できた自分の作品はたったひとつ。元いた工房仲間のブースに置かせてもらった、一枚のマフラーだけ。
出展枠に対する不満で、自ら応募しなかったせいにも関わらず、恵美子は心底落胆していた。

 

「こんなにお手伝いしたのにね。いいように使われただけね」

恵美子のそんなボヤキに、千与子が同情の声を漏らす。

「それも無給で。私たちは基本、当日手伝っただけですが、先生は何だかんだで、ずっとでしたもんね」

「まあ私はね、ボランティアでもいいんだけどね。この街のクラフトがそれで盛り上がってくれるなら。でも、千与子さんたちには申し訳ないことをしたわ。ごめんなさいね」

恵美子は両手の手のひらを合わせて、ごめんのポーズをした。

「いいんです、それは。でも、扱いが雑なんですよ、運営の」

「そうね。やっぱり〝ホームスパン〟って枠は欲しかったわよね」

千与子が頷く。

「さっきの話じゃないけど、手芸と工芸って何が違うんですか? 大体いつも工芸のほうが価値がある、みたいな言い方、しますよね」

顎に手を当てて口を尖らせながら、千与子が言った。

「手芸は主に、家庭で作られるもの、だからじゃない? 売り物じゃないのよ、基本。家族のために作るものだから」

「ホームスパンは、家族のためのものですか?」

それだ、と言わんばかりに、千与子は身を乗り出して詰め寄った。

「うーん。高すぎて売れないから今はあまり作られなくなったけど、元はテーラーメイドの服地としてもよく織られていたし、家族のためだけとも言えないわよね」

「ですよね? それなのに、紬とか反物を織るよりも、何か少し下に見られる。それは名前のせい?」

「そういうわけでもないとは思うけど……」

千与子の勢いに気圧された恵美子が、苦笑いを浮かべた。

「私、ホームスパンっていう名前に原因があると思うんですよ。何で〝家庭〟とか〝ホーム〟って付くだけでちょっと下に見られるんでしょう。料理だってそう。家庭料理とか言って、ちょっと小ばかにしてきますよね、料理する人たち」

「みんながみんなってわけじゃないとは思うけどね。そういう面は、確かにあるわね」

「生活の中の美なんですよね、民藝が求めてるものって」

「まあ、そうね」

「家庭は生活そのものじゃないですか。だったら生活感あってこその民藝じゃないんですかね。それなのに、なんかこう、澄ましてますよね」

千与子の言った〝澄ましてる〟の表現が面白くて、恵美子は少し笑った。

「そうね。でもまあ、毛玉だらけのものを美しいとは思えないのよ。それは〝用の美〟にはならないのかもしれないわね」

「まあ、そうなのかなあ」

「ともかく、もう終わったんだから。自分たちのことに集中しましょう。私が変なこと言ったからいけないんだけど。ごめんなさいね」

 

恵美子はそう言うと、ツイストドーナツのように捻って小さくまとめたままにしてあった数本のかせを、胡桃の樹皮で編んだ大ぶりの籠から一つずつ取り出し、捻りを解いて輪っか状に戻し、その輪の中に両手を入れて左右にパンと広げて空気を含ませてから、輪にステンレスの棒を順に通していった。
通し終わったら暖簾のようにぶら下がった数本のかせを、大鍋いっぱいに沸かした湯の中にゆっくりと浸した。輪の端からじわじわと湯が染みていく。

「あれ、蒸さないんですか? いつもは紡ぎ車からそのまま小枠に移して、蒸してますよね?」

千与子が尋ねた。

「ええ。いつもならそうするんだけど。この羊ちゃんは洗いが足りなかったみたいで、ちょっとゴミが出るの。だから、洗いも兼ねて、今回は煮てみようかと思って。朝は雨上がりで少し湿ってたけど、今は日が出て、空気も乾いてきたみたいだし」

「でも先生、明日雨ですよ」

「あら。そうなの?」

「だって、ほら。羊雲、出てるもの」

千与子はそう言うと、窓の外に広がる空を指差した。

「ホントだ。じゃあ、急いで干さなきゃ」

 

羊雲が出ると、翌日は雨が降る。
迷信じみた話だと、人は笑うかもしれない。
でもそうなのだ。とりわけ、空全体を厚い雲が覆うようになる前、羊が空一面に漂うとき、天気は大きく崩れる。

そのことを恵美子に教えてくれたのは、亡くなった父親だった。父は山を愛していた。
子どもの頃、恵美子はよく父と一緒に山に登った。その頃、一家は長野県松本市に住んでいた。北アルプスが身近にある街だ。
恵美子が中学生になった時、父の転勤により、一家で盛岡に越してきたのだった。

恵美子の主宰する『手織り教室 羊雲のち雨』は、盛岡市の郊外、繋温泉に行く途中、雫石川を堰き止めて作った御所湖の近くにある。盛岡駅からは、路線バスで30分ほどかかる。
情報が何より価値のあるものとされ、情報弱者は情弱と馬鹿にされる時代において、機械類に疎く、SNSも使いこなせない恵美子の教室は、宣伝不足とその利便性の悪さもあり、オープンして6年経っても、生徒は千与子の他には二人しかいなかった。その二人も、千与子ほど真面目には通って来ず、何回来ても体験レッスンの域から出ない有様だった。

「あの、すみません」

庭の物干し場で、冷えて温くなった湯からかせを引き上げ、軽く搾り、一つずつ竿に掛けている時だった。

不意に声をかけられ、驚いた恵美子は持ち上げていた竿を落とし、そこに通されていたかせが、いくつか地面に落ちた。

水を含んだ糸は重く、クラフトフェアの間に放置して溜め込んだかせはそれなりの量があり、それらを掛けている竿は、近年、歳のせいか筋力の衰えを感じる恵美子には重すぎたのだ。

「あっ」

声の主は、慌てて恵美子に駆け寄り、ひょいと竿を持ち上げた。

「あ、ありがとう。ごめんなさい。ちょっと持っててもらえる?」

「はい」

恵美子は、地面に落ちたかせを拾い、土を軽く手で払うと、竿に掛けた。

「ありがとう。重いでしょ、それ」

「そうですね。意外と」

恵美子は頷き、改めて見た。そこには、見知らぬ女が一人、立っていた。

「ところで、どなたかしら?」

「あの、ここは、羊雲のち雨さん、ですか?」

「そうですけど。……何か?」

「あの……。ホームスパン、習いたいんです。教えてもらえますか?」

 

註:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『雨を待つ布』第1話、いかがでしたでしょう。「ホームスパン」をあなたはご存知でしたか。私は、名前は聞いたことがあり、着物でいえば大島紬のような「高級な普段着のジャケット」をイメージしつつ、実態は知りませんでした。これからその「ホームスパン」をめぐる物語が始まりそうです。聖地とさえ言われる盛岡でもあまり大きな居場所のないホームスパンの工房に教えを乞いに来た見知らぬ女性、一体どんな人物なのでしょうか。次回をどうぞお楽しみに。

作者へのメッセージ、「ホテル暴風雨」へのご意見、ご感想などはこちらのメールフォームにてお待ちしております。

※ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・マンガ・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 X(旧Twitter)>
スポンサーリンク

フォローする