
東が小学4年生の時、阪神大震災が起こった。
東の住んでいた町は、震源地とされる淡路島北東部から直線距離で130キロほどしか離れていないが、さほど揺れはひどくなく、家の周辺でもほとんど被害はなかった。
震災から数カ月経った新学期、東のクラスに大阪から転校生が来た。
彼女は住んでいた家が被災し、仕事のある父親を除き、当時妊娠中の母親と5歳の弟と三人で、母親の実家のあるこの町へ避難して来たのだった。
彼女と帰り道が近かった東は、自然と、彼女と言葉を交わすことが増えた。
やがて、互いの家を行き来するような間柄になった。
当然のことながら、彼女の家には彼女の持ち物はほとんどなかった。玩具も洋服も教科書も。
「夜、暇つぶしするものがなくて、めっちゃ退屈。テレビはおじいさんが見てるからな」
と言う彼女のために、東は読み終わった漫画を貸し、使わなくなった玩具を差し出し、大切に取っておいたキャラクター入りの鉛筆やノートをあげた。
東は、もし自分が同じ目に遭っていたら、してほしいと思うこと全力で考え、想像し、実践し、彼女に寄り添った。
けれどもある日、彼女は言った。
「アンタのいらんもんを、うちの家に持ってこんといて。うち、乞食と違うで」
想像を超える反応に固まる東に向けて、彼女は追い打ちをかけた。
「アンタがどう思ってんか知らんけど、うち、こんなん欲しかったんとちゃうねん。ほんまに迷惑やわ。もう一緒に帰んのも嫌や。悪いけど、放っておいてくれる」
共感というものは、本当に難しい。
相手の身になり、共に感じる。
人はみんな違うのに?
目の前の相手にどれだけ近づいても、その人の心を理解することはできない。
だって違うから。あなたと私。違う生き物同士。
誰かに寄り添おうとする時、人は〝自分だったらどうか?〟と考える。
〝私だったら悲しい。だから傍に居よう〟とか、〝私だったら聴いてほしい。だから聴こう〟とか。
でも、その時点でもう、違うのだ。
自分の中の引き出しをどれだけ開いても、そこに、その人が抱える問題や悩みや不安はない。
似ているものを引っ張り出して、〝こういうことかな?〟と想像しても、ただ似ていると思っているだけで、実際は違うから。それは結局、自分の体験のリプレイ。
もしその引き出しに似たものがなかったら、想像する。
相手の痛みを。苦しみを。
そして勝手に慄く。その想像が本当に合っているのか、考えることもせず。
こんなにも難しいことなのに、人は容易に共感を求める。
共感は正義だ。正義は果たさなければならない。
その思いを前に、東はいつも思うのだ。
自分の想像が間違っていないと信じる心は、どこから来るの?
寄り添っているという自負は?
その後に起こった、あの未曽有の震災で、東は何もできなかった。
何かしなければならないと思い、何かしたいと願い、何もできない自分を呪い、何もしない自分を恥じた。
そのうち、それを考えることが辛くなった。
だから、考えないようにした。
被害が映し出される情報から目を背け、耳を塞ぎ、遠ざけた。
そして、そんな自分を激しく嫌悪した。
「こんな話、聞ぎだくねえべな。わりがったね、ごめんねぇ」
老女は東を気遣って、そう言った。
東は強く頭を左右に振りながら、じっと老女を見つめるしかできなかった。
そんな東を優しく見つめながら、老女はさらに続けた。
「ほれ、こんなボロ見せられで、やだったべなぁ。ごめんねぇ。あ、そうだそうだ。さっき水くれたお礼にねぇ、珈琲でもご馳走させでけろね」
そして老女は、エプロンを着けた女性を呼び、「珈琲ふたつ、けでねぇ」と言った。
「……違うんです。私のほうこそ、ごめんなさい。こういう時になんて言っていいのかわからないんです。きっと私には、おばあさんの気持ちを理解することはできないから。大切なものを見せて頂いたのに、変な空気になって、ごめんなさい」
東はそう言うと、言葉を詰まらせた。
鼻の奥で涙が落ちていく。
老女はそんな東の背中に手を当て「いがいが、気にすんなぁ。ほれ、あったがいうちに珈琲飲んべぇ」と言った。
東は、珈琲の入った紙コップに口をつけ、一口飲んだ。美味しかった。
それから珈琲がなくなる間、東と老女は、何気ない会話をして過ごした。
老女は、佐々木いとと名乗った。
今は一人で、駅から歩いて10分くらいのところにある、災害復興住宅に住んでいるらしい。
三鉄を見るのが好きで、天気が良くて足が痛くないときは大抵、このカフェに来て、列車を眺めている、と言った。
「この店なあ、珈琲安いのよ。一杯100円だもの。これだば、年金暮らしでもちょこちょこ来れんのよ」
そう言うと、いとさんはニッコリ笑った。釣られて東も笑った。
「ほれ見でみ、もう三鉄、出発すっど。あれ、久慈行きだべかな?」
その言葉で、東は我に返った。
「あっ、それ私が乗る電車! やばいやばい。おばあさん、じゃなかった、いとさん、じゃあまた。これ、珈琲代」
「いらねぇよう。わだすのおごりだからさ。ほれ、しまっておいで」
いとさんはそう言うと、東が出した100円を東の手に握らせた。
註:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『雨を待つ布』第四話、いかがでしたでしょう。東がしまいこんだ記憶に刻まれた傷。まるでそれを知るかのように、東を気遣いながら悲しい経験を語るいとさん。短くも忘れられないものになった会話です。そしていとさんの大切な思い出の品があの「布」。まるでシンデレラの靴のようです。さりげなく、何をしようというわけでもないけれど忘れられない会話は人生に時々あるものですが、それを未来の行動に繋げる「シンデレラの靴」があることは稀ではないでしょうか。それを見つけられただけで東は幸運なのかもしれませんが、せっかくならば布を無事織りたいもの。さて、どうなる? 次回をどうぞお楽しみに。
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