刺繍 第十二話

【第十二話】

母を老健に預けている3ヶ月、わたしは、母の終の棲家探しに明け暮れた。
一口に、認知症の高齢者が暮らす施設と言っても、施設を利用する側の使い方や、入所者の自由度、プライバシー空間の多寡、介護認定のレベルによって、多種多様なものがあるのを知った。

認知症を発症している高齢者には、主にグループホームという形態を勧められることが多かった。そこでは、認知症の者同士、最大九人で〝ユニット〟という単位を形成し、共に暮らし、集団生活の中で助け合いながら、互いにできることを自立して行う。
ユニットはあたかも家族のように密に繋がり、群れに入れられた者は始終関わり合いながら生きるというものだ。

「お母様は、まだ認知症の初期ですし、いろいろとご自身でできることも多いので、そういう施設のほうがいいと思います」

ケアマネージャーがグループホームを勧めるのには、他にも訳があった。
〝あたかも家庭のような〟という冠が付くグループホームは、施設を作るに際し、民家をちょっとの改修でそのまま再利用することもできるため、業者が参入しやすく、施設の数が多い。また、規模が小さく、医療に特化した専門職員の配置もなく、そこでできることも限られるため、初期費用や定額費用が比較的安価になりやすく、受け入れの間口が広いのだ。もちろん、これにはからくりもあって、実際に介護の度合いが進むにつれて必要なサービスをオプションで付けることになり、結果的には、最初から様々なサービスが付与されている介護付き老人ホームよりも高額な利用料が必要になることも多い。

夫亡き後、一人暮らしには贅沢すぎるほど広い実家で好き勝手に暮らしてきた母が、外の世界で取り繕った分、家では疲労困憊する母が、外面の良さの割に容易には人を信用しない母が、限られたプライベート空間の中で、見知らぬ人と心許して家族のように過ごすなんて、できるはずもなかった。
そもそも、自分が認知症であることを認めないうちに、端から見ると明らかに恍惚の人となった、自分より上のステージのお年寄りたちに囲まれ、自分が同類であると知ることは、容易なことではないだろう。そこに入れられた母が「私がなぜ、こんなところにいなければならないの」と声を荒げる姿は容易に想像できた。その日の来るのが数十年後ならまだしも、確実に階段を上り始めた者が、眼前の、決してそうなりたくない他人に、ほんの数年後の自分の姿を重ねながら生きる。
おそらく母は、そんな日々を受け入れることができないだろう。
もし母が、他人と関わるのが好きで、未知の人でも知り合いと分け隔てなく何時間でも話ができるような人であれば、そこでの暮らしは、好奇心を満たすことも、人との絆を持つことも、役割を果たす喜びを知ることも、無為な時間を埋めることもできる尊いものだと感じることができるかもしれない。やがて来る自分の将来を具体的に想像し、自分の世話をさせる気心知れた追随者を選び、老いの準備を進めることができるかもしれない。

「人付き合いの好きな人にはいい場所なのかもしれませんが、母の性格を考えると、難しいと思います」

もちろん、一口にグループホームと言っても、運営母体の理念や事業形態によっても異なるから、一概に定義することはできない。探せば中には、母でもうまく適応できるようなところがあるのかもしれない。
結局は、実際に施設に足を運び、探すしかないのだ。
わたしは、時間の許す限り、多種多様な施設を見て回り、母に最適な、そして、わたしの罪悪感を少しでも削ぐ場所を探した。

縛られることや一方的に決められたことを守るのが苦手な母のため、できるだけ自由で個人空間の広い施設。庭いじりや花が好きな母のため、簡単なガーデニングなどもできるところ。信頼できるスタッフがいて母が安堵できる場所。そして何より、認知症である自分を、無理矢理他者から強要されないでいられる環境。そこそこ費用は嵩むけれど、幸いなことに、長年男性と同等に働いた母は、たくさん貯金をしていたし、年金もそれなりだったし、父からの遺産もあったので、手が出ないというほどではなかった。介護の度合いが進んだら支出も増えるけれど、実家の土地を売れば差額くらいは捻出できるだろう。母がいくつまで生きるのかにもよるけれど、大スターの終の棲家みたいな豪勢な施設じゃなければ、金銭面での条件は付けないことにした。
母は自分が食べる食事にはさほどこだわりはないけれど、長年食べてきた給食みたいなものではなく、きちんと陶器のお皿に盛られる料理を提供してくれるところがいい。そして、わたしの家から近くて、何かの度に呼び出しされても苦もない距離。そんな条件を並べて、その全てを満たした何軒かを内見し、ちょうどいい物件があった。待機者が5人いたけれど、近いうち数人が特養に移るからそんなに待つことはないですよ、と施設の人が言った。予言通り、夏の盛りが過ぎ、虫の声がやけに耳に付くようになった頃、施設に空きが出た。わたしは、母のそこへの入居を進めた。

老健に入所している母に「終の棲家が決まったよ」と伝えたら、「あ、そう」と答えた。
あまりにあっさりとした反応だったので、理解しているのか疑問だったのだが、「どこにあるの? 月々いくらかかる? お母さんの年金で払えるのかしら?」などど、まともなことを矢継ぎ早に尋ねてくるので、わかっているのだと思った。話をしたのが午前中だからなのか、母の認知は好調だった。老健でのリハビリが効いたのもかもしれない。骨を折って入院した病院から出たいと騒いだ頃は、いろんなことが一気に理解できなくなっていて、このまま坂道を転がるように、母は、わたしの知らないおばあさんになっていくのだと思った。いつか旅先のバス停で声をかけてきた、あのおばあさんのように、ビー玉のように透き通った瞳で、壊れた再生機械のように、いつとは知らぬ謎の話を何度も言い続け、問い続けるのだと。自分が何者で、ここが何処で、どんな家族がいるのかわからないその姿は、誰でもない誰かになった崇高さが溢れていた。何の意思も感情も感じられないその眼で覗き込まれると、ブラックホールに吸い込まれるような怖さもあった。その姿は晩年の祖母にも似ていた。母は祖母に生き写しだった。わたしは、この先あと何回、母に会えるのだろう。でも、今日の母の姿を見る限り、そんな思いは杞憂に終わるのかもしれない。まだ母を失わないでいられる。わたしは嬉しかった。

老健を退所する日、それまで世話になったケアマネージャーが、母に「よかったですね。ご主人が亡くなって10年、一人でよく頑張りましたね。これからは、娘さんのそばに行けますね。もう頑張らなくてもいいですよ」と言った。母は少し瞳を潤ませて、コクンと頷いた。そんな母を、わたしは施設に入れようとしている。

(一緒に住めなくてごめん)

心の中でそう呟いたら、心臓の鼓動のように、心の奥でドクンと音がした。心の奥にある扉が揺さぶられ、誰かが呟く。

(お母さんを、施設なんかに入れるなんて……)

その声の主を、わたしはずっと前から知っている。
でもわたしは、その声を無視した。進まねばならない。

【第十三話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『刺繍』第十二話、いかがでしたでしょう。母の認知症がほんの少し進み、時にはほんの少し改善する、それに対して振り子のように揺れる「わたし」の心。それに、心を揺らすもっと大きなものもあるようで……母娘の関係の核心に迫ってきました。次回もどうぞお楽しみに。

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