別訳【夢中問答集】第六十九問 縁生の心と法爾の心? 2/2話

まぁ、「初めから『真の心』に目覚めるのはなかなか難しいというのであれば、まずはカンチガイでもいいから自分が『心』だと信じるものをとことん追い求めろ! その先にはきっと『真の心』があるから」、という考え方の宗派もないわけではない。

円覚経や楞厳経で「マボロシの智慧によってマボロシの迷いを打ち払え! そしてマボロシの智慧もマボロシの迷いを打ち払ったことも忘れろ! そうすれば真実が見えるハズだ!」と書かれておるのも同趣旨じゃな。

ただ、そう言うと「それじゃあ、マボロシの智慧を起こすのが王道なんですね?」などと言いだすヤツが出てくる。

円覚経には、「マボロシの身体が滅すると、マボロシの心もまた滅する。マボロシの心が滅すると、マボロシの世界もまた滅する。マボロシの世界が滅すると、滅するというマボロシもまた滅する。滅するというマボロシが滅するがゆえに、真実は滅しない。たとえば鏡を磨くようなものだ。鏡に付着した汚れが全てなくなった時、鏡はハッキリとものごとのあるがままを映しだす。そう、まさしく身体とか心とかいうものは、どちらも鏡に付いた汚れのようなものなのだ。汚れが全てなくなった時、オマエは世界の真実の姿を見るだろう」と書かれておる。

などというと、「そうか! 身体も心も全て滅ぼして、からっぽの自分になればいいんだね!」などと言いだすヤツがおるが、それは小乗仏教における「滅尽定(めつじんじょう)」や、外道の「非想定」の境地じゃ。

我らが目指す究極の境地ではない。

それは例えば、世間における「一般的な火」は「真実の火」ではないと聞いて、全て消してまわって真っ暗で冷たい状態にするのが「真実の火」だというようなものじゃ。

孔子や老子、また小乗やテキスト重視の宗派が「マボロシの智慧・心」について扱っているのは、あれは全部方便でやっているだけのことなのじゃ。


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