牛を探して十年

日頃お世話になっているWebマガジン「ホテル暴風雨」の十周年企画で、「十」という数字をテーマに何か書いてほしいという依頼があった。

「そうか、この場をお借りして最初の話を書いてから、もう十年にもなるか」と感慨にふけりながら、何を書こうかしばらく考えていた。

仏教の世界には「十」のつく用語がやたらと多い。十善、十地、十波羅蜜……。その中でふと思い出したのが「十牛図」である。

私は若い頃から中国拳法を趣味の一つとしている。かつて師兄から「拳打臥牛之地(けんだがぎゅうのち)」という言葉を教わったことがあった。牛が一匹寝ているくらいの場所でも拳の修行はできる、という意味だと聞いて、なるほどと思ったものだ。

かつて私が住んでいたマンションは縦長い建物で、玄関からエレベーターまで三メートルほどしかなかった。このフロアには自分たち以外は住んでいないのをいいことに、雨の日や時間のない時には、その狭い場所を我が「臥牛之地」として中国拳法の練習をしたものである。

最初のうちは、狭ければ狭いなりに動きを小さくして練習するのだと思っていた。だが続けているうちに、少し違う感覚になってきた。空間を小さく使うのではなく、使い方によってはその場所はいくらでも広くなる。外から見れば三メートルほどの狭い廊下でも、そこでやれることはいくらでもある。

禅には「十牛図」という有名な絵物語がある。牛を探すために町を出て、足跡を見つけ、ついには牛を捕まえる。ところがその先で牛を忘れ、人を忘れ、牛や人を忘れたことさえ忘れて、最後にはまた町へ戻ってくる。修行の道を十の段階で表したものだ。

牛を探すという話は、実は人間の生き方そのものなのかもしれない。ここではないどこか遠くへ行かなければ何も見つからないような気がして、つい広い場所を探して右往左往してしまう。しかし実際には、自宅の玄関先ほどの小さな場所でも、やろうと思えばいくらでも拳は練れる。

十周年と聞いて思い出したのが、この牛の話だった。「十」という数字を考えているうちに、ふと十牛図のことが頭に浮かんだのである。

私が牛を見つけることができたのかどうかは、正直よくわからない。(見つけたけれども忘れたのかも知れない)

ただ、どうやら探す場所だけは、どこにでもあるらしい。

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少年は、五十三人の師に会うため旅に出る。
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乞う、ご期待!


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