【善財くんがゆく!】第十一話 善財くん、宝石の中に宇宙を見る:第五の善知識・慈行童女 (1)

勝熱バラモンと別れてから、
数日が過ぎていた。

善財は、
南へ向かう街道を歩いていた。

空気が違う。

そう感じた。

勝熱のいた山は、
熱と炎に満ちていた。

だが今、
吹いている風は柔らかい。

涼しい。

善財は、
小さく息を吐いた。

「……生きてるなあ」

思わずそんな言葉が漏れる。

刀山を登り、
炎へ飛び込み、
神や魔王に囲まれる。

冷静に考えると、
かなりおかしい旅だった。

だが不思議と、
以前ほど疲れてはいなかった。

胸の奥にあった、
妙な力みのようなものが、
少し減っている気がした。

善財は空を見上げる。

白い雲が、
ゆっくり流れていく。

(恐れたままでも、
前へ進めばいい……か)

勝熱バラモンの言葉を思い出す。

すると。

遠くに、
巨大な城壁が見えてきた。

陽光を受けて、
白く輝いている。

「あれか」

善財は歩みを速めた。

獅子奮迅城。

次なる善知識、
慈行童女がいる場所である。

近づくにつれ、
人の数が増えていく。

旅人。

商人。

老人。

子ども。

様々な人々が、
同じ方向へ歩いていた。

いや。

歩いているというより、
どこか浮き立っている。

皆、
少し嬉しそうなのだ。

善財は、
近くを歩いていた老人へ声をかけた。

「すみません」

「ん?」

「皆、
どこへ向かってるんですか?」

老人は、
不思議そうな顔をした。

「何を言っとる」

そして当然のように言う。

「慈行童女さまの説法を聞きに行くに決まっとるだろう」

周囲の人々も、
当たり前のように頷いている。

善財は少し驚いた。

(そんなに有名なのか……)

勝熱バラモンの時とは、
えらい違いだった。

あっちは、
近づくだけで命の危険があった。

しかしここでは、
人々が自分から集まっている。

善財は、
人の流れに混ざって城門をくぐった。

その瞬間。

ふわりと、
香りが流れてきた。

甘い。

だが重くない。

森の風のような、
静かな香りだった。

善財は思わず足を止める。

(何だ……?)

周囲を見る。

白い石畳。

水路。

色鮮やかな花々。

風に揺れる幟。

そして。

遥か奥に、
巨大な宮殿が見えた。

陽光を受け、
金や銀や宝石が、
まるで水面のように輝いている。

善財は目を見開いた。

「うわ……」

思わず声が漏れる。

美しかった。

だが。

ただ豪華なだけではない。

どこか、
空気そのものが澄んでいる。

人々のざわめきすら、
妙に心地よかった。

善財は、
人の流れに押されるように、
宮殿の奥へ進んでいく。

やがて。

巨大な法堂へ辿り着いた。

無数の柱。

金銀宝石で飾られた天井。

龍勝栴檀の香り。

透き通るような光。

その中央に。

ひとりの少女が座っていた。

善財は、
思わず息を呑む。

肌は、
淡い黄金色。

瞳は、
深い紫紺。

長い髪は、
夜空のような紺青。

その周囲には、
五百人もの童女たちが控えていた。

だが。

善財の目を奪ったのは、
姿形だけではなかった。

少女が口を開いた瞬間。

法堂の空気そのものが、
静かに変わったのだ。

声は大きくない。

むしろ穏やかだった。

だが。

涼しい風のように、
その言葉は、
まっすぐ人々の胸へ届いてくる。

善財は、
呆然と立ち尽くしていた。

(この人が……
慈行童女……)

法堂は静まり返っていた。

大勢の人々がいる。

なのに、
妙な静けさがあった。

慈行童女の声だけが、
澄んだ水のように響いている。

善財は、
人波の後ろからその姿を見つめていた。

勝熱バラモンのような、
圧倒的な熱気はない。

善住比丘のような、
宇宙的な浮遊感とも違う。

だが。

不思議と、
目を離せなかった。

慈行童女は、
ゆっくり人々を見渡していた。

その視線は、
誰か一人だけを見ているようでもあり、
全員を同時に見ているようでもあった。

やがて。

慈行童女の視線が、
善財のところで止まる。

善財は思わず背筋を伸ばした。

慈行童女は、
小さく微笑む。

その笑顔は、
どこか春の風のようだった。

善財は、
人々の間を抜けて前へ進む。

自然に道が開いていく。

善財は慈行童女の前まで来ると、
深く頭を下げた。

「はじめまして。
……善財といいます」

慈行童女は、
静かに頷いた。

「遠くまで、
よく来ましたね」

その言葉だけで、
善財は少し泣きそうになった。

不思議だった。

責められたわけでもない。

褒められたわけでもない。

なのに。

旅の疲れごと、
見透かされた気がした。

善財は、
少し照れ臭そうに頭を掻く。

「ええと……
何か、
大変でした」

法堂のあちこちで、
小さな笑いが起きる。

慈行童女も、
少しだけ笑った。

「でしょうね」

その笑顔を見た瞬間。

善財は、
何だか妙に安心してしまった。

慈行童女は、
ゆっくりと手を上げる。

「善財さん」

「はい」

「この法堂を、
見渡してごらんなさい」

善財は少し戸惑った。

法堂?

改めて周囲を見る。

無数の柱。

金銀の装飾。

宝石。

瓔珞。

天井。

美しい空間だった。

だが。

それだけだ。

善財は首をかしげる。

「ええと……
綺麗ですね」

法堂のあちこちで、
また小さな笑いが漏れる。

善財は少し焦った。

(何か違う!?)

慈行童女は、
変わらず穏やかな顔をしていた。

「もう少し、
よく見てごらんなさい」

その瞬間だった。

法堂の光が、
ふっと揺らいだ。


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