【 魔の記憶 】(8)

ふと脳裏に浮かんだ光景があった。記憶が曖昧だが、テレビで見た1シーンだ。場所は日本ではなく(たぶん)インドで、寺院を建設(あるいは改修)している。その工事現場のすぐ脇で、多勢の僧侶たちが地面にしゃがんでいる。地面を掘り返され、驚いて出てきたミミズを両手ですくって助け出そうとしているのだ。単に「殺したくない」とか「死んでほしくない」といった憐憫の気持ちでそのようなことをしているのではない。僧侶たちは言う。「このミミズは前世では私の母だったかもしれない」

「前世が人間だったとは限らないよね」と私は言った。「……仮に前世が猫だったとする。それも悲惨な死に方をした猫だ。車にひかれて死んだとかね」
彼女の表情が微妙に曇ったことに気がつき、その瞬間に「あっ」と思い出した件があった。「しまった!」と思ったし「ひどい男だな」と発したばかりの言葉を後悔したのだが、気がついてないフリを押し通すことにした。「無神経を装う無神経」という奇妙な言葉が脳裏をよぎった。

「……そういう事例はないのかな?」
「つまり過去生は動物だったという場合ね」
「そう。……たとえば催眠術で生まれる前の闇までさかのぼって、次の瞬間に猫になったとか、そういう事例がひとつぐらいはないのかねぇ?」

催眠術。生まれる前の闇。次の瞬間に猫。……自分が発した言葉によって、またしても脳裏に浮かんだ光景があった。「アルタードステーツ」。古いSF映画(1979)の1シーンだ。アイソレーション・タンクと呼ばれる実験的なタンクの中で浮遊している天才科学者。彼はいったいなにを研究しているのか。その特殊なタンクの中で浮遊し、幻覚を誘発し、細胞が持つ記憶をさかのぼろうとしているのだ。彼は言う。「人間の細胞には、進化のプロセスが全て記録されている」

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「悲惨な死に方をした猫の記憶が残っているとか、そういう事例はないのかな?」
「聞いたことない」
「だろうね。……でも人間が死んで、人間に生まれ変わるとは限らないよね。いったいどれぐらいの確率で、人間に生まれ変わるのだろうね。きっと天文学的な数字だろうね。なにかの本に〈あなたが生まれてきた確率は、1400兆分の1〉とあって、笑ったことがあるね。いったいどういう計算でその数字が出てくるのかもう記憶にないけど、1400兆だよ。こうなるとさっぱりわからない。しかもその中のごくごく一部に記憶が継承される。まさに超天文学的な数字だろうね」
「それでも事例はちゃんとあるのよ。世界中から過去生の事例を集めて研究してる教授がいて……」

イアン・スティーヴンソン。ヴァージニア大学(アメリカ)の教授である。著書「前世を記憶する子供たち」では2300ほどの事例を紹介している。すべてインドの事例だけではなく、世界中から収集している。

「驚いたな。インドの事例だけじゃない、という点が面白いね。宗教は関係ないね」
「そう。宗教とか民族は関係ない」
「すごいな。世界が前世を信じるのは時間の問題だな」
「妙にあっさりと言う人ね。そんなことには絶対にならないと思ってるでしょ」
「もちろん反対の人も山ほど出てくる」
「そうね。神父さんのお友達がいるのだけど……」
「神父さんのお友達!」
「そんなにびっくりすることないでしょ」

魔女と神父。じつに興味深い取り合わせだ。「スリーピーホロウ(映画)でなんかそんなシーンがあったような」と思いつつ、もちろん余計なことは言わない。

「神父さんは反対?……まあ、そりゃそうだよな。死んじゃって、3年やそこらで別の人に生まれ変わりました。その間、神様とかそれらしき人に会うことはありませんでした。なんて人が出てきたら、そりゃ神父としては黙っておれんわな」
「科学が認めても?」
「たぶんダメだね。きっと宗教が対立するね。……科学があっさりと前世を認めたとする。NHKが特集を組んで、キャスターがいつもと変わらない穏やかな笑顔で〈このたび、前世が存在することが科学的に証明されました〉とやったとする。……それでも世界は変わらないだろうね。映画の前宣伝でよく見かける〈全世界衝撃!〉なんてことにはならんだろうね。きっと反対する宗教者が山ほど出てくる。前世を肯定するのも宗教。前世を否定するのも宗教。前世をめぐる現代の宗教論争、なんてね。これはちょっと面白いかもね」

……………………………………【 つづく/次回最終回 】

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