潮時 第十三話

ハイビスカスの花

【第十三話】

「今度こそ発表会に出ないわけにはいかなくて、ドレスも作らざるを得ないということですね。でも……」

メンバーで、一番若手の葉月が言った。

「あのデザインは……嫌なんですよ。どうしても」

「あれは着れないわよ。私もちょっと無理」

「ホントホント。ちょっと、ねえ……」

先生の提案を断り、舞台で踊ることを拒み続けたメンバーだが、次第に増す先生の圧に屈し、渋々ながら舞台に上がることになった。
衣裳を揃える段になり、先のように、口々に良子のドレスを貶した。

「可愛いけど、年齢的にちょっと……。私、あのドレスは着れない」

葉月が言った。他のメンバーが頷く。

「着れるわよ、葉月ちゃん、一番若いんだから」

良子がやんわりと制す。
最も若いお前が着れないのなら、どうして私たちが着れようか、と続けたいのを我慢して。

「どう言われようと、ごめんなさい。私、無理です。あれを着なきゃいけないと言うのなら、やっぱり発表会には出たくありません。せめて、デコルテが隠れてないと……」

「あと、袖も……」

普段は積極的に発言しない、中ちゃんが続ける。

「袖がないと、ちょっと。……私、〝振袖〟気になっちゃうから」

そう言って、自分の二の腕を隠す。他のメンバーが頷く。

「じゃあ、生地が同じで、デザインを変えて作ったらどうでしょう」

見かねて、良子の娘より年下の先生が提案した。

「襟を普通のラウンドネックにして、袖にはレースを付けることもできますよ。それなら?」

「うーん……」

葉月たちが目配せする。

「それなら、まあ……」

「わかりました。じゃあ、その方向で業者に伝えます。なるべく早く採寸に来て貰うよう、手配しますね」

(えっ、デザイン違いでもいいの? なら、私もそっちが良かった。〝ドレスはチームの一体感を演出するための道具〟と言ってたから、同じじゃないといけないって思って、我慢したのに……)

良子が「私もそっちがよかった」と言おうとした瞬間、ボンちゃんが「私たちは、あの可愛いドレスで頑張ろうね」と言った。美子と睦実が頷いた。良子も頷くしかなかった。

そうしてデザイン違いの二種類のドレスを着て一緒に踊り始めると、当初、あんなに嫌がっていたメンバーも、次第に舞台に立つことに慣れていった。
発表会は春と秋、年二回あるということで、秋用にベロア素材で仕立てられた濃紺色の長袖のドレスも作った。

でも何度着ても、良子は、あのビスチェのドレスを好きになれなかった。
むしろ着る度に、ドレスから跳ね返されているような気にもなった。
だから、次の発表会に向けてのレッスン後、着替えをしている先生に言った。

「新しいドレス、作りませんか? 発表会もあるし」

「いいですね。新しいのもう一着、揃えてみます? ちょうどセールのカタログが届いてたから、皆さんがご興味おありなら、次回、持ってきますよ。今なら、少し割安になりますし」

「わあ、新しいドレス? カタログ、見たい見たい」

良子と先生の提案に喜んだのは、予想通りボンちゃんと美子と睦実だけで、他のメンバーは一斉に表情を曇らせた。

それには理由があった。
良子がこんな提案をするのは、今回が初めてじゃなかった。

「また? ……いつも言ってるけど、私たち、新しいのはもういらないの。そもそも私は、発表会に出るのも嫌なくらいなのに」

こういう時に先陣を切って冷や水を浴びせるのは、いつも葉月なのだが、今回は、文子がその役を買って出ていた。

「もう何度も言ってるけど……」

「そうね……。二着あるからね」

他のメンバーも首を横に振る。
二着もあれば十分よ。要らない、要らない。そんな呟きも聞こえる。
大声でNOとは言えないけれど、意思表明はしたい。そんなところだろう。

その声を拡声器みたいに拾い上げて伝達するのは、やはり葉月だ。

「申し訳ないけど、私たちはもうこれ以上要らないです。良子さんは、何でそんなに新しいの、欲しがるんですか?」

「あの緑のが、好きじゃないのよ」

「どうして? 肩が出るから?」

「まあ、そうね」

「だったら、良子さんが、私たちと同じデザインのドレスを買い直せばいいんじゃないですか?」

新調したくない派が一斉に「確かに」と頷く。
それを受けて、新調したい派の中の睦実が反撃した。

「そんなこと言わずにみんなで新しいの買おうよ。気分、上がるよ」

フラダンス教室において、『ドレス問題』はつきものだ。
大抵の場合、それは多数決で進んでいく。

良子たちのように、〝買うか、買わないか〟だけでなく、値段や色、形、露出具合などでも大いに揉める。
たとえ同じ教室に通い、同じ先生に習っていても、考え方も、好みも、自由にできるお金の額も、人それぞれだ。欲しいものが全員同じ、なんてことはまず起こらない。

そもそも、舞台で着るドレスともなると、それなりの値段だ。
働く人を対象にした夜のクラスもあるけれど、良子たちのようなシニア層が多く在籍するのは、平日昼間のレッスンで、そこに通って、自由にお金を使える者は限られる。

働いていないけれど、それなりに自由なお金を使える専業主婦たち。
生活のためではなく、フラダンスの衣装のためにパートする者。
暮らしに少し余裕があって、時間は大いに持て余す、育児や介護に絡め取られない世代。

いずれも夫の稼ぎや年金、あるいはわずかなパート代からドレス代を捻出するのだ。
中には、羽振りの良い者とそうじゃない者もいる。当然格差は生じ、それがドレスの購入にも多大な影響を与える。

「価値観の違い」というものもある。
年齢的にも、そろそろ終活を考える。先のことを考えると、これ以上ものを増やすわけにはいかない。そう考える者も少なからずいる。できるかぎり、自分のものは自分の手で片付けてから死にたいと考える者がいる一方で、後の始末は残された者に丸投げして、ものをいっぱい残して死ぬことを悪いと考えない、なんなら「〝資産〟を残していくんだからありがたく思え」くらいのことを考える者もいる。

どちらが正しくて、どちらが間違っているとかではない。

ただ、価値観が違うのだ。
ものに対する、子どもに対する、羞恥心や責任感に対する価値観が。

ドレスを買い足すこと一つとっても、そうした価値観が反映され、考えの違いとなって表れる。

今回、良子たちのクラスでは、要らない派が二名多かった。ゆえに、良子の希望は悉く却下され、こうして冷や飯を食わされる羽目になっていた。

(葉月たちと同じデザインを作り直すですって? 馬鹿なことを言わないで。なんで今更そんなのを買わなきゃいけないのよ)

葉月の提案は、彼女たちが置かれた現状から考えて、もっとも歪みの少ないものだ。
欲しくもない高価なものをたった一人の我儘から買わされる六名の苛立ちよりも、文句を言う一名の不満を犠牲にすればいい。社会では、当たり前のように取られる手法。多数決の論理。最大多数の最大幸福。そこに正しさなんてない。正しさは移ろうから。今はこうして、買わない派が多いけれど、誰か一人の心変わりや新参者の出現で、形勢は瞬く間に逆転するかもしれない。その時々の正義で揺れ動く人々。

葉月の言うように、良子が葉月たちと同じデザインのドレスを買い直したとして、その後に形勢が逆転したら? おそらくその時、良子は後悔するだろう。多数派の圧に負けた自分を。
だから、別の策に出た。

「ドレスを新調するのがダメなら……。そうだ。上にボレロみたいなのを羽織って踊ってるグループがいましたね。あれは?」

「ボレロですか? あれも素敵ですよね。うん、いいんじゃないですか。皆さん、どうですか?」

葉月が嫌悪感を滲ませた。隠しても隠し切れない敵意の心が、良子を一瞬尻込みさせた。

「ボ、ボレロだったら、いろんなドレスにも使い回しできるし。一着あってもいいかと思うんだ、けど……」

良子の目をまっすぐ見据えながら、葉月が言った。

「ボレロ? 私は要らないです。私のドレス、袖あるし。使い回しって言ったって、もう一つのベロアのドレスは、そもそも長袖じゃないですか。あれに着けるんですか?」

思わず溢れ出た怒りをどうにか回収しようとしたのか、一息整えた後、葉月が続けた。

「まあ、欲しい人は買えばいいんじゃないですか? Tシャツの時みたいに」

フラダンス教室で、生徒が半ば強制的に購入させられるものは、発表会で着るドレス以外にもある。揃いの髪飾り、レイ。これらは、発表会で身に着ける物なので、ドレスの一部とみなすこともできる。その他に、練習用のCD、先生が出演する舞台のチケット。これらは、フラダンス以外の習い事でもあるかもしれない。

けれど、普段の練習で着るTシャツやパーカー、レッスン用のトートバッグは、おそらくフラダンス以外では、求められないのではなかろうか。

「Tシャツ! そんなのもあったね。……あれ、どこいったかな?」

練習で着るから買えと言われ、言われるがままに購入した多くの者は、最初の一回だけは着たものの、以降のレッスンに着てくることはなかった。それどころか、文子のように、買ったことすら忘れていたりする。それを身に着けることがこの教室のルールだと、先生がはっきり明言すれば、おそらくみんな買うし、ちゃんと着ても来るだろう。良子が渡り歩いてきた他の教室では、事実そうだった。

でも、このクラスは違った。それには訳があった。

【第十四話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第十三話、いかがでしたでしょう。
ひぇ〜、フラダンス習うのにこんな面倒な問題がついてくるとは。フラダンスって好きなの着て踊るんじゃないのね、基本、お揃いなのね? と、初読時は小説そっちのけ(失礼!)で驚いた私でしたが、観察しがいのある峰歩さん好みのシチュエーションがこの後どう調理されるのかが見どころなんですよ、本当に……(とフォローしつつ)次回もどうぞお楽しみに!

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