達磨大師が少林寺で壁に向かって座禅を続けていた時のことです。
大師は雪の中に立つ青年僧の神光さん(後の二祖慧可和尚)が自分を振り向かせるために背後で自らの左腕を切り落としたのを知って声をかけました。
達磨:「……オマエ、なぜそんなことをするんだ?」
神光:「私の心はフラフラとさまよい、どうやっても落ち着かせることができません。お願いですから、私の心に安らぎを与えてください!」
達磨:「わかったよ。そこまで言うならオマエの『心』を持ってきなさい。安らぎを与えてやろうじゃないか」
神光:「い、いや、そうしたいのはヤマヤマなのですが、私が安らぎを与えて欲しいと願っている『心』を取り出そうと思っても、どこにも見当たらないのですよ……」
達磨:「じゃあ、もう安心だな!」
それを聞いた神光さんは、その場で悟りを得てしまいました。
さて、先ほどから問題になっている「法身」なるものは、このやりとりのどこにあるのでしょうか?
長沙和尚は言いました。
「事物を認識する主体=自我が存在するということを無批判に信じてしまうから、人はなかなか真理にたどり着けないのだ! その自我こそが「本来人」と呼ぶべき根源的な存在だなどとバカなことを言っているから、いつまでたっても生死の輪廻から抜けられないのだ!」
「法身」は仏教における真実そのものの別名でもあるので、今どきの人たちは自分の持つ認識機能がそれなのだとカンチガイして様々なすっとこどっこいをやらかすわけなのですが、なんともお気の毒なことです……
冒頭の会話で慧忠国師が言及した「そんなもの」とはまさにこのことなのですが、自分の「法身」を見たことがある者など誰もいないハズ。
見たこともないものに対して「踏んづけろ」とか「こだわるな」とか言われても困ってしまいますよね。
―――――つづく
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