【善財くんがゆく!】第八話 善財くん、初めて海を見る:第二の善知識・海雲比丘 (4)

善財は、
しばらく海を見つめていた。

波は変わらず寄せては返している。

だが、
もう先ほどまでと同じ海には見えなかった。

海雲は、
その海と“会話”していた。

いや――

海だけではない。

風とも。

空とも。

遠い嵐とも。

沖の船とも。

それら全部と、
ひとつながりで呼吸しているようだった。

善財はぽつりと言った。

「海雲さまには……
世界が全部、
つながって見えているんですね」

海雲は少し考え込む。

「うーむ」

そして首を横に振った。

「違うな」

「え?」

「“見えている”のではない」

海雲は、
静かに自分の胸へ手を当てた。

「ワシらが、
もともと繋がっとるんじゃ」

海雲は小さく笑った。

「まあ……
今風に言うなら、
“世界ネット接続”みたいなものかの」

(世界ネット……)

波が砕ける。

「ただ、
普段は忘れておるだけじゃな」

善財は黙る。

海雲は続けた。

「人は、
自分を小さく区切りすぎる」

砂浜に、
小さな円を描く。

「ここまでが自分。
ここから先は他人」

さらに線を引く。

「これは自分の国。
あれは別の国」

また線。

「これは味方。
あれは敵」

海雲は笑った。

「だが海は、
そんなふうに分かれとらん」

波が来る。

全部の線を消していく。

「境目は、
人間が勝手に作っとるだけじゃ」

善財は、
その消えていく線を見つめていた。

海雲は空を見上げる。

「風は、
国境を知らん」

海を見る。

「波も知らん」

そして、
善財へ視線を向けた。

「仏もじゃ」

その言葉に、
善財は息を呑んだ。

海雲は静かに言った。

「だから仏は、
誰か一人だけを救ったりせん」

波。

「全部へ届こうとする」

また波。

「海のようにな」

善財は、
胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

海雲はふっと笑った。

「まあ、
ワシはまだまだじゃがな」

「え?」

「十二年見ても、
まだ全然見飽きん」

海を見る目が、
どこか子供のようだった。

「つまり、
まだ見切れておらんということじゃ」

善財は思わず笑った。

徳雲もそうだった。

あれほど凄いのに、
どこか“未完成”なのだ。

海雲は静かに言う。

「完成したと思った瞬間、
人は見なくなる」

波。

「聞かなくなる」

波。

「学ばなくなる」

海雲は善財を見た。

「それが一番危ない」

その声には、
今までになく強い響きがあった。

善財は姿勢を正す。

海雲は続けた。

「おぬしは、
これからたくさんの善知識に会うじゃろう」

「はい」

「中には、
おぬしには理解できん者もおる」

善財は苦笑した。

「すでに徳雲さまで、
かなりそうでした」

海雲は吹き出した。

「うむ。
あやつは特にひどい」

「海雲さまも十分変わっていますよ」

「よく言われる」

二人は少し笑った。

だが海雲は、
すぐ真顔へ戻る。

「よいか、善財」

波の音が響く。

「理解できぬものを、
すぐ切り捨てるな」

善財は黙って聞いている。

「世の中には、
今のおぬしには受け止めきれぬものが山ほどある」

海雲は海を見つめた。

「だが、
だからこそ旅をする」

風が吹く。

潮の匂いが強くなる。

「すぐ答えを出そうとするな」

海雲は静かに言った。

「波のように、
何度も行き来しながら考えよ」

善財は、
その言葉を胸の中で繰り返した。

――何度も行き来しながら。

海雲は、
ふいに沖の方を見る。

「……来たな」

「え?」

善財も振り返る。

遠くの海に、
小さな船影が見えた。

嵐を避けて戻ってきた船だ。

海雲は、
安心したように頷いた。

「全員無事じゃ」

善財は驚く。

「見えるんですか?」

「うむ」

海雲は笑った。

「波の音が違うからな」

善財はもう、
驚く気力すらなくなっていた。

海雲は静かに立ち上がる。

そして、
海辺に打ち上げられていた流木を拾い上げた。

「さて」

砂浜に、
何かを描き始める。

円。

波。

渦。

複雑な線。

それは、
地図のようにも、
曼荼羅のようにも見えた。

海雲は言う。

「次に訪ねるべき相手を教えよう」

善財は息を呑む。

海雲は、
南東の方角へ線を伸ばした。

「そこに、
善住比丘という男がおる」

善財はその名を繰り返す。

「善住……」

海雲は頷いた。

「空を観る男じゃ」

善財は目を瞬かせた。

海。

空。

また世界が変わる。

海雲は笑った。

「まあ、
あやつも相当変わっとるがな」

善財は苦笑した。

「もう今さら驚きませんよ」

海雲は、
少し嬉しそうに笑った。

「それはよい傾向じゃ」


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