老化と介護と神経科学19「機嫌のこと(2)機嫌の神経科学」

「老化と介護と神経科学」と言うタイトルをつけながら、最近ちっとも神経科学のことを書いていなかった。反省して、今回は神経科学の話。

「機嫌」と言うのは日常的な、親しみのある言葉だが、神経科学や心理学の用語で言えば、「情動」となる。(精神科医なら「気分」というだろう。)
情動とよく似た言葉に「意欲」がある。「情動と意欲は全く別物でしょう」と思われるかもしれない。しかし、実験でこの二つを区別するのは、じつは難しい。

例えば、ネズミに、レバーを押したらジュースが飲めるという課題を訓練する。はじめのうちはレバーの匂いをかいだり、たまに手で触ったりするだけだ。
あるとき何かの拍子にレバーを押す。すると目の前のノズルからジュースが出てくる。舐めると甘い。しばらくしてまたレバーを押すと、またジュースが出てくる。すぐにネズミは、嬉しくなってどんどんレバーを押すようになる。

今、「嬉しくなって」と書いたが、もちろんこれは解釈だ。ネズミが本当に嬉しがっているのか、我々にはわからない。
こういう課題で、ジュースなどの「報酬」を得た時に、脳の中の中脳にあるドーパミン細胞が反応する。予想よりたくさんのジュースがもらえれば激しく活動し、予想より少ないと活動は下がる。神経科学者はしばしば、「ドーパミン細胞は、嬉しいことがあると活動します」と説明する。だが、これは半分嘘だ。

ドーパミン細胞は、脳内の線条体とか側坐核とかいう場所に軸索を送り、そこでドーパミンを放出する。黒質と線条体・側坐核を含む神経回路は「報酬系」と呼ばれる。これはヒトを含む動物のやる気をかき立て、学習を促進する回路だが、同時にさまざまな依存症を引き起こす回路でもある。
チェーンスモーカーがタバコを吸うのは「嬉しいから」だろうか?
私は10年くらい前まで喫煙者だったが、タバコを連続で吸うのは、嬉しいからでも美味しいからでもない。吸わずにはいられないからだ。麻薬中毒者が麻薬を吸うのも、吸うと嬉しいからと言うより、吸わずにはいられないからだろう。おそらくは、仕事中毒者も。
脳の「報酬系」の働きは、動物をある行動へと駆り立てるが、それが必ずしも主観的な嬉しさや幸福を増進するかというと、そういうものではないのだ。

一方で、主観的な「機嫌の良さ」や「幸せ」というものと関係がありそうなのが、帯状皮質や扁桃核を含む大脳辺縁系だ。もちろん、幸せの反対の「不幸」とも関係する。
病的に不幸な状態を精神科的に言えば、「うつ」だ。うつ病の患者では、帯状皮質のある場所の活動が異常になっていることがよく知られているし、帯状皮質の中の別の場所は「心地良さ」に反応することが報告されている。

もちろん、脳の報酬系と辺縁系の働きは関連し合っているし、報酬として働くものは(ジュースにしろお金にしろ)、機嫌も良くすることが多い。
それでも、機嫌の良さと言うことと、報酬や「やる気」は、もともとは別物なんだと言うことを、覚えておくと、いろいろ腑に落ちることが多いのではなかろうか。

(by みやち)

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