【 空腹の限界 】
空腹というのはあなたにとって「どの程度がまんできる状況」だろうか。
「まあ4時間。それが限界やな」と真顔でいう友人がいる。彼は朝食・昼食・間食(おやつ)・夕食・晩酌と1日に5回はなんか食ってる。しかも「外食大好き男」なので、塩分も糖分もカロリーもかなり過多だ。当然ながら肥満で、メタボリック症候群で、腹の出具合はかなり気にしている。気にはしているくせに、医者の言うことなど全く介しない。
「食いたい放題食って半年後に死ぬのと、我慢に我慢を重ねて1年後に死ぬのと、どっちがいい?」と(居酒屋で)私に聞いてきたことがある。
「なんちゅう選択肢だ」と笑い、ちょっと真剣に考えて、やはり結論は前者だった。
「ほれみい!」友人は上機嫌で笑った。
「うちら、どうがんばったところでどうせ死ぬんや。だったらうまいもんを食って、食うたびに「あー、しあわせ」と実感して、いよいよあかんと思ったら延命治療を断って、さっと死ぬ。それが一番や」
ところでこの友人は、普段はなにをしてると思います?
「京都のお寺さん」と言えば、魔談読者のあなたは「あっ、あの話の!」と即座にわかるかも。
さて私はどうか。この友人とは真逆に近い。1日2食である。朝食を8時頃に済ませたあとは、コーヒーメーカーで熱いコーヒーをたっぷりとつくり、時々それをすすりながら仕事する。午後7時の夕食までなにも食べない。昼食も間食もとらない。
じつは(少年時代から)胃弱でたくさん食べることができない。無理して食べると胃のあたりにズシンとなにか重いものが詰まっているみたいで、すごく気持ち悪い。空腹を感じている方が、むしろ快適に仕事できる。(猫がいつもすぐ傍にいるが)ひとり暮らしの田舎男なので、お腹がグーグー鳴ったところで誰も笑わない。それに(高齢者となった最近は特にそう思うのだが)お腹がグーグー鳴るぐらいの空腹感が私にとってはむしろ快調といえるようだ。
【 オットドッグ 】
さて本題。
ホテルを8時過ぎに出てざっと2時間ほどバスチーユ広場界隈をあちこち歩き、さすがに空腹を感じた。喫茶店は至るところにある。大きな喫茶店は店内が広いだけでなく、歩道にまで盛大にテーブル席を出している。日本で喫茶店がこんなことをしたら、周囲の店から苦情が出て、たちまち警察官が飛んでくるだろうと思うのだが、こっちではこういうのはアバウトというか寛大なんだろうか。それとも「特別許可税」みたいなものがあるのだろうか。
店内も店外も客は結構いる。「12月の朝に外テーブル」という光景は日本じゃちょっと考えられないが、こっちの人々は意外に平気だ。室内が満席で入れなかった、というのでもなさそうだ。室内は確かに混んでいるが、あちこちに空席もある。

大きな喫茶店はメニューを持って歩きまわっているギャルソンも忙しそうだ。こういう店はちょっと敬遠してしまう。パリに何度も行った友人の話によれば、大きな喫茶店のギャルソンは「フランス語のできない東洋人観光客」に対してしばしば軽蔑しきった態度をとると聞いたことがある。
友人の場合は「口をへの字に曲げたギャルソン」が「あんたの言ってることは全然わからない」と大仰なポーズをしたあげく、運んできたカフェオレは(わざとだとは思いたくないが)テーブルにガッシャンと置かれてソーサーに少しこぼれていた。ギャルソンは当然ながらそれに気がついていたはずだが、そのまま行ってしまった。友人は恥ずかしさと悔しさでカフェオレには手をつけず、すぐに店を出たそうだ。
もちろん客に対してこんなひどい思いをさせる店は滅多にないと私も思いたい。しかしパリのどこかにこんな店もあるのだ。
そこで手頃な大きさの、つまり小さめの喫茶店に目をつけた。店の前に置いてある鉢植えの糸杉に、(板に絵の具で文字を書いた)メニューが無造作に掛けてある。コーヒー10フラン(¥200)。ホットドッグ22フラン(¥440)。板のメニューは文字だけなのでホットドッグはどんなものなのか見当もつかないし「ちょっと高いな」とも思ったが、まあ、いいだろう。
窓ガラス越しに店内を物色した。カウンター席と客席が6つ。客は一番奥の席に老婦人がひとり。カウンターの脇に大きなシェパードが眠っている。カウンターには黒いエプロンをかけた老人がひとり。理想的だ。ここに決めた。
店内に入り、カウンターに進み、にこやかに「ボンジュ〜」と挨拶。マスターはにっこりと微笑んで「ボンジュ〜」と返してくれた。
「アン・カフェ・スィル・ヴ・プレ」
この「スィル・ヴ・プレ」は英語の「プリーズ」に相当する。なにはともあれ店でオーダーした時はこれを最後につけなさい、となにかの本に書いてあった。ただし本に書いてあったのは(当然ながら)カタカナ文字なので発音はわからない。「現地で発音を聞いておかないと」と思っていたのだが、幸いというか、そこらじゅうの店でこの「スィル・ヴ・プレ」は耳にした。なので発音も心得ている。
さてホットドッグ。カウンターの上に会ったメニューのホットドッグを指差しながら「アン・ホットドッグ・スィル・ヴ・プレ」
彼はちょっとけげんな表情をしたが、メニューを見てうなづき、笑顔で「アン・オットドッグ」と言った。なんとこちらでは「オットドッグ」らしい。「H」は発音しないのだろうか。「アン・オットドッグ・スィル・ヴ・プレ」と私は訂正した。ともあれ「緊張MAXのオーダー」(笑)は完了した。
【 つづく 】

