【 祝・ホテル暴風雨10周年 】
この「パリ徘徊魔談」も、22回目にしてようやくメインのモンマルトル談に到達した。いよいよそこにいた画家たちとの交流を大いに語る意欲だが、その前に、今回は「ホテル暴風雨10周年」を祝して一言述べておきたい。
私事で恐縮だが、私はいま69歳で、この5月に70歳となる。70歳を目前にして「さて70歳から80歳までの10年間を、どう生きるか」と真剣に考え始めている。
10年前もそうだった。59歳の私は同じように「さて60歳から70歳までの10年間を、どう生きるか」と考え始めていた。59歳の時点で自分の知力・体力に老化を実感することは特になかった。しかしこれから先の10年間(60歳〜70歳)、頭脳的にも肉体的にも、老化が顕著に現れ始めることはまちがいない。「しかたがない」「まあこんなものだろう」とありのままの老化を率直に肯定的に受け止めて暮らしていくという生き方もある。しかし頭脳的な活動、特に「エッセイや物語を書く」「絵やイラストを描く」「Macを操作してデザイン・編集する」……これらの仕事は、なんとしてでも現状のレベルを維持していきたいと願った。
そのようなことを日常的に考え始めたときに、風木さんから「ホテル暴風雨」設立のお話をうかがった。率直に「なんと奇妙な名前のホテルだ」と面白く思った。全く異質な言葉がくっついている。ホラー小説のタイトルのようでもある。「……そういえば「魔女の宅急便」もそうだよな」と思った。本来、くっつくことはまずありえないふたつの言葉が出会うことにより、そこからから新しい世界・面白い物語が生まれる。
しかもそのホテルの1室を提供してくださるという。つまり「週1で連載ができるか」という打診だった。じつに光栄であり、「これでエッセイを書き続ける意欲は維持できるぞ」と喜んだ。喜んだものの、さて「週1エッセイ」でなにを書くか。日常的な雑感を(徒然なるままに)書くと言う手が最も妥当であるように思われたが「もう少しハードな条件を自分に課そうではないか」と思った。我ながら少々「M」寄りの方針(笑)ではある。
こうして「魔談」が生まれた。「怖い話など聞きとうない」というまっとうな人からは嫌われてしまうようにも思われたが、まあ、やれるところまでやってみようではないか。週1で多少キツイかもしれないが、「ちょっとキツイ」ぐらいの方が修行になるというものだ。
実際は、多少どころかメッチャきついと思ったこともあった。継続断念の一歩手前まで行ったこともあった。しかしかろうじて続けた。かくして今回は521回。
ホテル暴風雨10周年、誠におめでとうございます。そしてホテル暴風雨が存在するかぎり、「魔談」は親衛隊のようにその一室を維持していきたいと願っております。
【 カルネ 】
さて本題。
モンマルトルに行くには、どうしたってメトロ(地下鉄)に乗って行くしかない。
「いよいよメトロに乗るか」てな気分で軽い朝食をとった。
「たかが地下鉄に乗るのに、なんでこんなに緊張してんだか」などと苦笑気分でホテルを出た。徒歩10分ほどで地下に降りた。そこにサンポール駅がある。
ガイドブックによれば、「カルネ(10回分の回数券)を買ってしまえば楽だ」と書いてあった。いちいち窓口に行く必要がないからだ。駅の自動券売機で買えるらしい。
ただし
(1)自動券売機はコインしか使えない。
(2)自動券売機はフランス人には不評(笑)で、どの駅にも2台〜4台ぐらいしかない。
この「フランス人には不評」には笑った。自動券売機はフランス人の神経を逆なでするなにかがあるのだろうか。いやそうではなく、単に「面倒くさがり屋」が多いのだろう。そこでホテルを出る前に、財布を逆さまにしてベッドの上にコインをジャラジャラと出した。48フラン(¥960)あればいいのだ。おつりなしでキッチリそろったので、やれやれと安心した。このコインをアーミージャケットのポケットに入れて、ホテルを出た。

さて自動券売機。サンポール駅には2台あった。ところが1台は画面に紙が貼ってある。どうも故障中らしい。もう1台に向かおうとすると、年配の女性が近づいてきた。
「あ、これは好都合」とばかりにサッと手を出して「お先にどうぞ」サインを送った。
彼女はにこやかに「Merci beaucoup」(メルシー・ボクー)。
背後から彼女の様子を真剣に観察した。さすがに慣れた様子ではある。
(1)画面をチラッと見て「1」ボタンを押した。
(2)画面が変化すると「2」ボタンを押した。
(3)財布を出してコインを入れた。
(4)しばらくすると自動券売機はガッチャン、ガッチャンと10回の音をたてて、10枚の切符を1枚ずつ吐き出した。なんだかすごく「あー、かったるい」みたいな吐き出し方だ。10回聴いているだけで憂鬱になりそうな音だ。こりゃパリっ子に嫌われて当然だ。……などと思いながら背後に立っていると、彼女は切符の枚数を慎重に確認し、私の方に向きなおって再び「メルシー・ボクー」。
じつに爽やかな老夫人だった。さて憂鬱な音を10回聞くか。私も同じようにしてカルネを手に入れた。
【 メトロホーム 】
地下に降りたときから感じていたことだが、パリの地下メトロ空間には独特の匂いが漂っていた。
あなたはこんな経験はないだろうか。たとえば街を歩いていて、すぐ脇でパチンコ店の自動ドアがガアーッと開いた。私はパチンコに興味はないのでそのドアの方向を見ることもないのだが、その自動ドアが開閉する数秒間、店内から「ジャラジャラーッ」という騒音と、一種異様な(ほかではちょっと嗅いだことがない)匂いが流れてきた。金属質な匂い(たぶんパチンコ玉の匂い)と、埃と、消毒液が混ざったような匂いだ。
メトロのホームに立っていたときに感じた匂いは上記と似ていたが、濃厚な香水がさらに追加されていた。
それにしてもここの女性たちは、
(1)日本人女性に比べて香水好きが多い。
(2)日本人女性が好む香水に比べて濃厚な香水を好む。
このどちらかなんだろうか。あるいはこの両方かもしれない。私がホームに立っていた時、周囲にさほど人はいなかったが、香水の香りはずっと漂っていた。このままここに立っているだけで、私のアーミージャケットにこの匂いがじわじわと染みこむのではないかと思うほどだった。
【 つづく 】

