【 シーレ 】
その温室はやはりただの温室ではなかった。そもそも中庭にありながら南京錠がかかっていることからして変だった。
シーレはポケットから鍵を出して南京錠を外すと、木のドアを開いて中に入り、ドアから手だけを出して私を招いた。私はちょっと警戒しながら、ドアのところで温室の中を覗いた。外から見た時はなにかを栽培しているのかと思っていたが、中を見て「ああ、ドライフラワーをつくっているのか」と合点した。狭い温室の壁には、逆さにぶら下げられたドライフラワーがずいぶんいっぱい並んでいた。2mほどの高さの天井からも20〜30本ほどぶら下がっていた。独特のすえた匂いが、鼻の奥をツンと刺激した。森の奥の、すっかり腐ってしまった倒木から漂ってくるような匂いだった。
シーレは棚に置いてあった植木バサミを取り上げると、ぶら下がっているドライフラワーを2本ほどチョキンと切った。それを持ってドアのところに戻ってきた。私は数歩後ろに下がった。結局、温室の中には入らなかった。なにかが私を止めていた。
彼はまた元のように南京錠をカチンとかけ、私を見てニヤッと笑い、倉庫のドアのところに戻っていった。異国人であり会話がまったくないという状況だったから仕方がないのだが、それにしても彼が見せた一瞬の笑顔はなにを意味するのだろう。私にはまったくわからなかった。
シーレに続いて、私も倉庫内に戻った。先ほどはまったく気がつかなかったが、外に比べて室内は微妙に暖かく感じた。この広い倉庫のどこかに(ホテルで見たような)オイルヒーターがあるのかもしれない。
貞子が私を見つけて走ってきた。笑って手を上げると、貞子は「それどころではない」と言わんばかりに私の手をとって倉庫の隅に連れていった。いったいどうしたというのか。彼女の様子には微妙に緊迫したものがあった。
「あいつとなにをしてたの?」
即座にシーレのことだとわかったものの、貞子の様子に私はちょっと驚いていた。ともかく温室の一件を、順を追って詳しく話した。彼女はそれを聞いてようやく安堵したらしい。チラッと周囲に目を配り、近くには誰もいないことを確かめると「○○には近づいちゃダメよ」と言った。この時貞子は彼の名前を言ったのだが、ここではシーレとしておく。
「シーレに近づいちゃダメよ」
「どうしてです」
「温室を見たでしょ?」
「ええ、ドライフラワーの倉庫みたいな温室でした」
私は軽く笑ったのだが、貞子は笑わなかった。
「あれはただのドライフラワーじゃないの」
「?……どういうことです?」
「あれはケシなのよ」
じつをいうとここまで聞いてもなお、私にはなんのことかわからなかった。
「ケシ?」と聞き返して初めて「あっ!」と理解した。そういえば日本でもどこかの温室でケシの白い花を見て撮影したことがある。あそこにズラッと並んでいたドライフラワーはケシだったのか。
貞子は私の様子を見てようやく安心したような表情をした。その後、自分の居住部屋に私を連れて行った。私はそこで熱いコーヒーをいただきながらケシの話を聞いた。
それはこんな方法だった。
(1)ケシの丸い果実にナイフで傷をつける。
(2)しばらくすると、その傷口からドロッとした白い液体が滲み出てくる。
(ケシの種類により、黄色や淡いピンク色の場合もある)
(3)その液体を採集し、乾燥させ、砕いて粉にする。
(4)その粉を巻きタバコの葉にブレンドする。

「なるほど。それで麻薬タバコのできあがり、というわけなんですね」
「そう」
「しかしあそこにあったのはドライフラワーだった。これはどうするのです?」
貞子にもそれはわからないようだった。シーレが秘密にしており、誰にも言わないらしい。
「独特の幻想的な絵を描くいい画家なんだけどね」と彼女は言った。ケシの栽培はもちろん違法だ。その果実から採取したもので麻薬タバコをつくるなど、もってのほかだ。
「ああそれで中庭にあって、しかも南京錠がかかっているわけだ」
貞子は何度もシーレに交渉してケシの栽培をやめるか、このアトリエを出ていくか、どちらかにしろと要求したらしい。しかしだめだった。
(理由その1)
シーレはこの倉庫の管理者一族の出身だった。
(理由その2)
シーレは「これは自分だけが楽しむためのものだ」と言いながら、こっそりと誰かに麻薬タバコを売っているらしかった。そのため彼は常にポケットマネーを持っており、(口封じの効果も期待しているらしく)しばしば例の酒場で(このアトリエの貧乏画家たちに)大判振る舞いをした。そのため人気があった。
【 つづく 】

