【善財くんがゆく!】第八話 善財くん、初めて海を見る:第二の善知識・海雲比丘 (2)

善財は、
海雲の横顔を見つめた。

「向こうから……
見え始める?」

海雲は頷く。

「うむ」

波が寄せる。

砕ける。

引いていく。

海雲は静かに続けた。

「最初はただの波じゃ」

「はい」

「だが、
見続けておるとな――」

海雲は、
砂浜へ指を向けた。

「同じ波が、
ひとつもないことに気づく」

善財は海を見る。

確かに、
波はどれも似ている。

だが、
まったく同じ形はない。

砕け方も、
音も、
光り方も違う。

海雲は言う。

「風が違う。
潮が違う。
月が違う。
海底の流れが違う」

波が来る。

「つまり、
ひとつの波には、
世界全部が関わっておる」

善財は黙って聞いていた。

海雲は続ける。

「すると今度は、
“見えてくる”」

「何がです?」

「つながりじゃ」

海雲の声は静かだった。

「風と波。
月と潮。
空と海。
遠い嵐と、
今ここへ届く水の動き」

そして、
海を見つめたまま小さく笑う。

「人も同じじゃ」

善財は息を呑む。

海雲は言った。

「ひとりで生きている者など、
どこにもおらん」

波が砕ける。

「怒りも、
悲しみも、
喜びも――」

また波。

「どこか遠くから流れてきて、
誰かへ伝わっていく」

善財は、
徳雲の言葉を思い出していた。

――世界は広い。

だが海雲は、
その広さを“ひとつ”の中から見ている。

海雲はふいに言った。

「おぬし、
覚えるのは得意か?」

「え?」

突然の質問だった。

善財は少し考える。

「人並みには……」

海雲は笑った。

「ワシは苦手じゃった」

善財は思わず海雲を見た。

「えっ?」

「すぐ忘れる」

海雲は真顔で言う。

「昨日食べた魚も忘れる」

「それはちょっと問題では……」

「うむ。
困った」

海雲は頷いた。

だが次の瞬間、
海雲の目が少し変わった。

「だから、
覚え方を変えた」

風が吹く。

潮騒が響く。

海雲は、
ゆっくりと砂浜へ線を描いた。

一本。

また一本。

波のような線。

「昔のワシは、
物事を“別々”に覚えようとしておった」

さらに線を増やす。

「だが、
世界は全部つながっとる」

線と線が繋がる。

網のようになる。

「ひとつ覚えれば、
別のものも浮かぶ」

さらに増える。

「波を見れば風が分かる。
風を見れば空が分かる。
空を見れば潮が分かる」

善財は、
その線を見つめていた。

海雲は静かに言う。

「つまりな」

海を指差す。

「世界そのものが、
巨大な記憶なんじゃ」

善財は目を見開いた。

海雲は頷く。

「だから、
無理に全部を抱え込まなくてよい」

波が来る。

線を消す。

「つながりを観よ」

海雲は静かに言った。

「すると、
必要なものは向こうから浮かび上がってくる」

善財は、
その言葉を反芻した。

――向こうから浮かび上がる。

それは徳雲の、

――見えている。

とも似ていた。

だが、
少し違う。

徳雲は、
無数の世界を“受信”していた。

海雲は違う。

膨大すぎる世界を、
“整理している”。

いや。

整理というより――

“調和させている”。

善財は恐る恐る尋ねた。

「海雲さまは……
どれくらいのことを覚えているんですか?」

海雲は少し考え込んだ。

「うーむ」

そして、
平然と言った。

「たぶん、
普通の人間が一生で聞く言葉の、
百万倍くらいかの」

善財は固まった。

「ひゃ、百万……!?」

「もっとかもしれん」

「そんなの、
頭がおかしくなりませんか!?」

海雲は笑った。

「なるぞ」

「なるんですか!?」

「だから海を見る」

善財はますます分からなくなった。

海雲は静かに海を見つめる。

「海は広い」

波。

「全部を受け止める」

波。

「だが、
決して壊れん」

海雲は、
ゆっくりと善財へ視線を向けた。

「菩薩も、
そうならねばならんのじゃ」


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