庭を見ればすべてがわかる。人の心や体は、庭とつながっているから。
毎日歯を磨くように、庭も毎日の手入れが肝心だ。だけど、どうしても気づかないうちに、パーゴラのすみに大蜘蛛の巣がはっていたり、木のうろに小鬼が住みついていたりする。
だから、庭師が必要とされる。庭師のぼくは、今日もスクーターの荷台に脚立を積んで、お得意さんを回る。
五丁目の砂地夫人は、去年、夫に先立たれて未亡人になった。
大学の文学部の教授だった砂地氏には、庭師見習いだった頃に何度かお目にかかったことがある。厳格な人という印象だった。白い柵に囲まれた砂地氏の庭は、芝生の周りにバラを植え、ギリシャ風の彫刻などを配した端正な佇まい。それに対して夫人の庭は、雑木をランダムに配し、小さな花を咲かせる山野草を散らして生垣を巡らせた、自然主義の造りだった。
夫の死後、夫人は供養として橋を作った。もともと、ふたりの庭の境にはせせらぎがあって、飛び石で渡るようになっていたが、その石を退け、木の橋を架けたのだ。
人は、人生の節目に庭を作り変える。その際には無理をせず、身の丈にあったことをすれば良いのだが、大きな悲しみがあったときなどは、気持ちを紛らわそうと極端なことをしてしまう場合がある。たとえば、故人の庭と自分の庭をぐちゃぐちゃに混ぜてしまったり、反対に、きれいさっぱり更地にして、その上にまったくあたらしい庭を作ったり。しかし、そんなことをするとたいていうまくいかない。庭の声を聞いて、庭が行きたい方向へ行かせてあげることがだいじなのだ。
「こんちは」
ぼくは生垣ごしに声をかけた。日当たりのいい縁側に置いた大きな籐椅子に、夫人がすっぽりとはまっていた。昔気質の夫人は、今日もきちんと喪服を着ている。
夫人がこちらを見て、にっこりと頷いたのをたしかめてから、ぼくは裏口へ回った。
遠目ではわからなかったが、砂地夫人は喪服の膝に黒猫を抱いていた。
「なんだか、昨日から右の肩が痛くってねえ。それに目もシバシバして。いえ、大したことはないんですけどね」
夫人は猫を撫でながら、あいているほうの手を肩にやり、ついで目元を押さえた。
「ちょっと、全体的に見てみますね」
ぼくは縁側の下の犬走りから返事をすると、脚立を肩にかけ、道具を入れたカゴを背負って、庭へ入っていった。
まず、夫人の庭。土を踏み固めたままの小径の両側に、ヒメシャラやヤマボウシ、イロハモミジなどが気持ちのよい木陰を作っている。
ぼくは小径から、柔らかい苔と下草の中に踏み出した。冬に入るときに剪定した枝はまだ形を保っているし、地面にはゴミひとつ落ちていない。
光さす緑の中で、ぼくは耳をすませた。しょりしょりと、虫が葉を噛むかすかな音。
ヒメシャラに近づいて、葉っぱを一枚一枚、裏返してみる。
いたいた。小さな赤い「飛毒」が、びっしりと整列している。日に当たると、やつら、いっせいに鎌首をもたげた。
飛毒は目に害を及ぼす。小さいうちはシバシバぐらいですむが、大きくなると、ひどいときは失明してしまう。
いまのうちに見つけることができてよかった。
幹を軽く揺すると、いま見つけた葉っぱの他に二、三箇所から、ツーッと糸を引いて赤いやつらが垂れ下がった。その下に紙を広げて構え、ハサミで糸を切っていく。全部落としたら、紙を丸めて缶の中に入れ、マッチで火をつけて燃やして終了。これぐらいなら、呪文も護符も使わない。
さて、次は肩こりの原因を探さなくては。
でも、肩に影響するモノって、なんかあったかな。死んだヒトの霊が肩につくとか聞いたことがあるような気がするけど、そんなの迷信に決まってる。死人が、生きている人に何かすることはできない。
木立の他のところも見て、異常がないことを確認してから、小径に戻った。その先が、せせらぎをまたぐ木の橋だ。夫人が作った橋は、小さいけれどしっかりしている。亡き夫を思いながら、心を込めて作ったに違いない。
ぼくは夫人の庭から出て、橋を渡って砂地氏の庭に入った。
冬枯れした芝生が、春先のけぶった光に照らされていた。芝生の周りには、たくさんのバラが植えられている。いまはまだツボミだが、盛りになったらどんなにきれいだろう。
アーチをくぐり、ガーデンテーブルセットのある一角に入った。
テーブルの裏を見ると、火精の繭があった。もしも庭の主が子どもだったら、火精が怒るとおねしょをすることがあるが、夫人の肩こりとは関係なさそうだ。羽化して飛び回る姿は、炎がちょろちょろしているようできれいだし、繭は集めれば防火用の布になる。夫人は、繭の存在を知っていてそっとしているのだろう。
結局、砂地氏の庭にも、これといった異常は見つけられなかった。
いったん、せせらぎまで戻った。流れる水は、砂地氏側に属するビーナス像の下から出て、敷地を斜めに横切り、夫人側の池に注ぎ込んでいる。
池のほとりから、上流に向かって歩いてみた。対岸にはゴロンとした石が自然に配置され、苔むすままにされている。こちら側の岸は、あられこぼしの延段だ。
橋まで来て、ぼくは立ち止まった。
――――つづく
(by 芳納珪)
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