魔の絵本(6)エドワード・ゴーリー著「優雅に叱責する自転車」

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「おっ!」
屈折講師は「さも驚いた」といった表情をしている。
「どっかで見た自転車が走ってるぞ!」
回覧でその絵本を見た生徒から笑い声。
「じゃあ、さっそく聞いてみますかね。……Aさん、その絵本のどこが好きなんですか?」

講師が内心で勝手に「PTA会長」とあだ名をつけた女性は苦しそうだ。さもありなん。特に要求したわけでもないのだが、名前を呼ばれて即座に起立するところもさすがにPTA。じつに礼儀正しい。しかし困り果てた表情は消えない。

「この絵本の教訓は……」
これには笑った。教室の爆笑につられて講師もつい笑ってしまった。なるほど教訓と来たか。じつにPTA。彼女は「爆笑の理由がイマイチよくわからない」といった当惑の表情だが、しかし教室内のじつになごやかな雰囲気にはとりあえず御満悦といった感じ。
「変な自転車を見たら、乗らない方がいいという教訓です」
再び爆笑。

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記憶とはなんとも不思議なメカニズムだと思う。この出来事はかれこれ10年ほど前のささやかな記憶だが、「この絵本の教訓は……」と言った時の彼女の当惑しきった表情をじつによく覚えている。筆者は記憶の傾向として「美人だ」とか「かわいい」という記憶は迅速に記憶から消えてゆき、内面の感情が表にあらわに出た瞬間の表情のみをじつによく覚えている。その人の名前を忘れ、どのような状況だったのかということを忘れても、その瞬間の表情のみを覚えている。そういう表情ばかりをストックした悪趣味箱が筆者の内面にあるような気がする。

それにしても、よりによってゴーリーの「優雅に叱責する自転車」をつかまえて「この絵本の教訓は……」。これには笑った。筆者がいままでの人生で笑ってきた数々の爆笑シーンの中でも、上位4番目あたりの傑作に入る。この絵本ぐらいいわゆる「教訓」というお固いイメージからほど遠いナンセンス絵本も珍しい。しかしナンセンスだからと言って、なんでもアリのどうでもよすぎ絵本ではない。「仕掛けがあるようで、じつはない」と「仕掛けがないようで、じつはある」の隙間空間をフワフワと浮遊しているような絵本である。

この絵本はいまだに「よくわからん」という謎めいた部分が多い点でもお気に入りだが、筆者が「やられた!」と悟って思わずニヤニヤしたのは「章が飛んでる」という、通常の絵本ではまずありえない仕掛けだ。つまり第1章、第2章ときてフムフムと見ていくと、いつのまにか第4章となっている。「おっと、第3章をすっとばしてしまったぞ。どれが第3章だっけ?」と時間を逆行して探しに行くのだが……ない。「そんなバカな」と数回ページをめくってウロウロと探し、しばし呆然とし、「ハメたな」ということにようやく気がつく。じつに腹がたつ。同時にニヤニヤする。

「ヤロ、テメ、ハメやがったな」という気分で第4章の次を見て行くと……次は第7章、その次は第11章。

「やっぱそーだよ、チクショウ、ゴーリーめ。ハメやがって。テメエ、いったいなにが言いたいっ!」と口汚くののしりたい気分。しかしその一方で、早くもこの奇妙な仕掛けについてその理由を考え始めている。

ゴーリー絵本というのは、そういう妙な魔力がある。

………………………………………(つづく/次回最終回)

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