心を紡いで言葉にすれば 第1回:「お口にチャック」と言われ続けて

初めまして。大日向峰歩(おおひなた ぶぶ)と申します。縁あって、『ホテル暴風雨』の8080号室に滞在させて頂くことになりました。以後、お見知りおきを。

ところで皆様は、何かがついうっかり漏れちゃうこと、ありませんか?
時にそれは、気持ちだったり情報だったりおしっこだったりするけれど、私が一番漏れて困っているのは〝独り言〟です。

思い返せば、子どもの頃からそれには悩まされていました。
私の部屋からたくさんの子どもの声が聞こえたので思わず覗いたら、そこに居るのは私一人だったため、家族に心底気味悪がられたこともあります。

確かに一人遊びは得意でした。
図書館ごっこ(自分の書棚を図書館に見立て、全ての本の後ろに図書カードを付け、借りる人と返す人を演じる遊び)、先生ごっこ(自分で作ったテスト問題を自分で解いてソフトペンで丸付けして、その得点に一喜一憂する遊び)、同棲ごっこ(キキを当時好きだったアイドル、ララを自分に見立て、『月のおうち』で同棲するのを全力で妄想する遊び)。

そうした遊びには〝独り言〟が不可欠です。一人で何役もする遊びは、空想上の誰かとリアルに言葉を交わすのが醍醐味なのだから。
それに没入している時、現実の他者の存在ほど鬱陶しいものはありません。「あら、一人で遊んでいるの」と声をかけられた瞬間、それまでの恍惚とした時間は泡沫の恋のように一瞬で消え去り、残るのは羞恥心と気まずさ。それが、もうすぐ中学生にもなろうとするタイミングに交わされたものであったならば、歯噛みするほどの後悔に苛まれ、己の独り言癖をもはや呪うしかないのです。

また、子どもの〝独り言〟は、こうしたごっこ遊びの時にのみ生じるものでもありません。
ぬり絵をする時に色を選びながら「何色がいいかなあ?赤かな?やっぱり青のがいいかなあ?」とか一人呟いてる子どもを見たことがあるのでは? あれです。

そうした子どもの〝独り言〟は、専門的には〝内言〟と言うのだそうです。
大人は、一問一答形式で、頭の中だけで自分と自分が会話して〝思考〟にまとめていくけれど、子どもは、それを内に留めておくことができなくて〝漏れちゃう〟のだと。

確かに、件の色選びしている子どもに「うん。青がいいね」とか「ピンクのほうがいいんじゃない?」と相槌を入れると怪訝な顔で見つめられたりします。
そのあまりに予想外な表情に、こちらは「あ、反応しちゃダメなやつね」と焦るけれど、彼らが訝しむのは仕方ないのです。その言葉を発する時、彼らは何一つ〝伝えよう〟としていないのだから(注)。それどころか、それが漏れ出ていることにさえ気づいていない。もしかしたら、頭や心の中を覗かれたと思っているのかもしれません。自分の鞄の中や部屋の中を誰かに覗かれたらあまりいい気持ちがしないものです。ましてや、それが頭や心ならなおのこと。
誰かに伝えるためではなく、自分だけで完結しているような言葉や自分自身に言い聞かせるような言葉には、他者の返しは不要なのです。

そんな子どもの頃の〝だだ漏れ独り言〟は、成長し〝自分以外の誰かの視点〟を意識できるようになると、影を潜めていきます。
人は成長と共に、自分だけの言葉を〝思考〟として内なるものに秘めていくのだけれど、どうやら私は秘められなかったようです。
かつて、こちらのホテルのオーナー様に指摘されたように〝息をするようにお喋りをする〟私にとって、外向きであれ内向きであれ、頭にあふれる言葉に沈黙し続けるのは難しいのでしょう。

今日一日を思い返し、〝ああすればよかった、こうすればよかった〟と後悔している時、思いついたアイデアを現実の計画に落とし込んでいく時、明日会う人との会話の流れを想像してシュミレーションしている時、私は一人二役三役となり、実際に声に出して自分と対話します。
とはいえ、普段は人目が怖いので、それらをどうにか脳内に留めています。問題は一人の時。人の気配が無くなると、堰を切ったようにそれは溢れ出ます。トイレの個室、お風呂の中、運転中の一人車内は最も危険な空間です。漏れたことがばれても恥ずかしくない場所で、心も体もリラックスして、饒舌に独り言、基、一人会話を楽しんでいる最中、「誰と喋ってるの?」と家族に訝しがられるときの気まずさよ! そんな時、私は自分に言い聞かせるのです。

「お口にチャック!」

まさか、大人になってまで、しかも自分自身に、言われるとは思っていませんでした。
辛い…。辛すぎる。私は喋りたいのです。
どうしたらこの思いを存分に発散できるのか? 悩んだ私の答えは書くこと。
落ち葉を拾い集めるように、漏れ出た言の葉を綴って他者へ伝える言葉に変える。それはまるで心を紡ぐかのような作業です。
できれば、聞いて(読んで)くれた人に、ちょっとした「ほほう」を返せるといいのかもしれません。

というわけで、毎回「ほほう」と思える何かを混ぜながら、散文と物語で呟いていけたら……と思っております。
私の内言を徒然なるままに綴っているのが散文(エッセイ)ならば、現実によく似た架空の世界で、一切の遠慮も忖度もなく主人公たちに託した内言を大漏洩しているのが物語(小説)です。8080号室で私がもうひとつ綴っている物語のコンテンツ『誰かのために』も、是非ご一読いただけると幸いです。

(注)子どもの内言には〝伝えよう〟とするものもあるらしいです。この場合、内言は必ずしも思考の前段階というわけではありません。

(by 大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩さんの連載、はじまりました。エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』と、小説『誰かのために』のどちらかを、毎週月曜日にお届けします。今回のエッセイでひみつの「内言」をちらりと覗かせてもらったところで、次回はいよいよ、小説『誰かのために』第一話。ご期待ください!

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