【善財くんがゆく!】第一話 善財くん、登場

善財くんがゆく!
― 華厳経「入法界品」より ―

<筆者より>

今回より華厳経「入法界品」の超訳チャレンジを開始いたします。

舞台は二千年以上昔のインド。

この物語の主人公は、善財(ぜんざい)という一人の少年。
彼は文殊菩薩の勧めによって旅に出て、五十三人の師を訪ね歩きながら教えを学び、やがて悟りへと近づいていきます。

つまりこれは――

仏教経典でありながら、同時に 「修行の旅の物語」 でもあるのです。

登場する師匠たちは実に多彩です。
菩薩や聖者だけではありません。

王、商人、医者、船乗り、遊女、さらには神々まで――
善財はさまざまな人物に出会い、そのたびに教えを受け取っていきます。

こうした構成のため、「入法界品」は仏教文学の中でも特にユニークな作品として知られています。

とはいえ、原典はかなり長く、また内容も壮大で、現代の読者がそのまま読むのはなかなか大変です。

そこでこの連載では、原典の思想を尊重しつつ、できるだけ読みやすい形で物語として再構成し、善財の旅を追っていこうと思います。

なお本文では、主人公を親しみを込めて 「善財くん」 と呼ぶことにしました。
古典の登場人物ではありますが、読者のみなさんにも身近な存在として感じてもらえればと思います。

さて、物語の舞台は南インドの大都市ダニヤーカラ。

交易で栄えるこの街に、一人の少年が暮らしていました。

その名は――善財。

そしてこの少年こそ、やがて五十三人の師を訪ね歩くことになる人物です。

それでは、物語を始めましょう。


第一話 善財くん、登場

南インドの大交易都市ダニヤーカラ。
二千年以上昔、交易で栄えたこの街には、世界中から人と品物が集まっていた。

悠々と流れる母なるクリシュナの大河。
河畔には黄金色の穀物畑が広がり、街の中心には壮麗な建物が林のように並んでいる。

四方へ伸びる交易路には、象やラクダを連れた隊商が絶え間なく行き交っていた。
南の海から香料が届き、北の山々からは宝石が運ばれてくる。

その繁栄を支えているのが、この街の商人たちである。

その郊外の小高い丘の上に、ひとりの少年が立っていた。

この街でも指折りの大商人の息子――善財。
十六歳になったばかりの少年である。

丘の上には風が強く吹いていた。
善財はその風を胸いっぱいに吸い込みながら、眼下の街を眺めていた。

「このまばゆいばかりの活気……」

善財は小さくつぶやく。

「ダニヤーカラは、本当にいい街だな」

そのときだった。

「おーい! スダナ!!」

丘に大声が響いた。

振り返ると、丘を全力で駆け上がってきた少年が肩で息をしている。
幼なじみのスブラタである。

「そんなところで何やってるんだ!?
みんなもう揃ってるぞ!」

善財は肩をすくめた。

「スブラタか。だから言っただろう?
オレのことは善財と呼べって。もう十六歳だぞ。子どもの頃の名前は卒業だ」

「それを言うなら、オレの名も善誓だ。
昔の名前で呼ぶなよ!」

二人は顔を見合わせ、思わず吹き出した。

それから並んで、丘を下り始める。

歩くたび、身につけた宝石がじゃらりと音を立てた。
商人の息子らしい、少しばかり派手な装いである。

しばらく歩いたところで、善財が口を開いた。

「なあ善誓。あの話、本当なのか?」

「どの話だ?」

「“世界でいちばん賢い人が、この世の真理を教えてくれる”ってやつさ」

善誓は鼻を鳴らした。

「さあな。なんでも“智慧ではあのブッダにも勝る”とかいう人らしいぞ」

「そんな人がいるのか?」

「説法の旅の途中で、この街にも立ち寄ったんだとさ。
何日か前に、商業組合の理事長――つまりおまえの父さんのところに連絡が来てな」

善誓は少し大げさに肩をすくめた。

「そりゃあもう大騒ぎだったらしい。街の東の林にある広場で説法会を開くことになったんだが――」

「満席にしないと面子が立たない、と」

善財が笑う。

「そういうこと。うちの親父も人集めに駆り出されてさ」

「それで若手まで動員されたわけか」

「その通り」

善財はふと空を見上げた。

(なるほどな。三日ほど前から親父の姿が見えなかったのは、そのせいか)

やがて二人は麓の広場へとたどり着いた。

そこには――

大勢の少年少女が、男女に分かれて整列していた。

その全員が、一斉に善財のほうを見る。

そして、女子列の先頭に立っていた少女が腕を組んで言った。

「善財くん」

声が冷たい。

「いったいどういうつもりなの?」

善財は思わず足を止めた。

「人を集めておいて、待たせっぱなしにするなんて」

「あー……」

善財は頭をかいた。

「待たせて悪かったな、スバドラ――いや、善賢さん」

「ふざけないで」

少女はぴしりと言った。

「あなたはリーダーなのよ」

そして、後ろを指さす。

「見なさい。街の有力者の息子たち五百人、娘たち五百人。
みんなあなたの顔を立てて集まっているんですからね」

善財は苦笑した。

(いや……オレ、そんな命令した覚えないんだけどな)

(さっき話を聞いたばかりなのに)

だが、ここで言い訳しても始まらない。

善財は軽く頭を下げた。

「わかった。悪かった。以後、気をつける」

そしてくるりと振り返り、声を張り上げた。

「みんな、待たせてすまない!」

広場に声が響く。

「――それじゃあ、出発だ!」


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