足利直義:いやいや和尚、人のため人のためっておっしゃいますけどね、自分自身がまだ未完成であるうちは、他人のことにかまっているヒマも能力もないのではありませんかね?
その辺が、ちょっとよくわからないんですよ。まず自分、その次に余力があれば皆さんのため、というのではダメなんでしょうか?
夢窓国師:しょうもないことを言うな、バカモノ!
そもそも人々が死を恐れながら生き続けるハメになったのは何故じゃ?
まず「自分が金持ちに」、ともかく「自分が有名に」などと、「自分自分」ばっかりで日々をおくって、ろくでもないことばかりしでかし続けてきたからではないのか!?
まず、「自分」ということを無理やりにでも忘れてみろ!
それから「何か利益になることをしよう」としたならば、それらは全て、自然に皆のためにもなるはずじゃから。
そして、そうなったならば「仏の道」などという言葉を持ち出すまでもなく、「仏道」はほうっておいても完成することじゃろう。
逆に、「自分のため」などと考えたが最後、無限にも近い長年月をかけて修行したところで、まるで「仏」になどなれないことはいうまでもない。もちろん、「他人を救えるように」などなれるわけもない。
実は菩薩の道にも二種類あってな、まず自分の修行を完成させてしまってから他の人を導こうとする手法もあるのじゃ。それを「智増」と呼ぶ。
先に挙げたような「まず自分をさしおいて他人のために」というのは「悲増」と呼ぶのじゃ。
それじゃ「智増」はダメなんだ、などとと思うじゃろうが、そうではないのじゃ。そもそもボンクラどもとは目的が違う。
「智増」も「悲増」も、目的はひとつ「全ての人々に幸せを!」ということじゃ。
だから手段は異なれども、同じような効果があるのじゃ」
<第十二問 救うなら自分と他人のどちらが先? 完>
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