父さん、お仕事していいよ

3歳になった息子は、このところ言葉での表現が一気に広がってきた。言葉が増えるということは、様々な意思の疎通がより細かく出来るようになってきたということでもある。「イヤ」と「したい」がかなり具体的なものに変化してきているのだ。
たとえば朝食の時に食べたいと言ったコーンフレークを出した時のことである。

「フレーク食べたい」(はい、今日はコーンフレークね)
「あっちで食べたい」(ごはんはこっちのテーブルで食べてください)
「牛乳かけるのいやだ」(じゃあ、かけないで別々にしようか)
「落ちたよー」(落としたんでしょ)
「拾って」(拾うから大丈夫)
「洗って」(コーンフレークは洗えません)

と言う感じである。
絶叫するだけで何が気に入らないのかさっぱりわからなかった時期から比べると、これは飛躍的な成長である。
そして最近覚えた言葉の中で記憶に刻まれているのは「いいよ」である。例えば海の生き物の映画を一緒に見ているときなどに「ちょっとトイレに行ってきていいかな?」と聞くと、3回に一度くらいの割合で「いいよ」と答えるのだ。
最初に言われた時は驚いて「え?いいの!?」と思わず聞き返してしまったが、考えてみればトイレに行く事くらいは許してもらってもいいはずである。トイレに行かせてもらえるだけで驚きを感じられるようになるのも育児の醍醐味のひとつだが、この「いいよ」も時に養育者を複雑な気持ちにさせることがある。

体力がついてきた子どもは、最近なかなか眠ってくれない。ようやく1日の終わりにベッドの上までたどり着いたかと思うと縦横無尽に動き回り、さらにはベッドの下にわざわざ落ちて「父さん、どこにいるの?たすけてー!」と叫んでいる。正直、助けて欲しいのはこっちの方だが、そんな寝かしつけも終盤にさしかかった頃、息子が眠そうな目を擦りながら言った。

「父さん、お仕事していいよ」

忙しくてなかなか家に帰って来られないお父さんが玄関で子どもに「またね」と言われて凹むという話はよく聞くが、かなりの時間を一緒に過ごして寝かしつけにも散々付き合った挙句にこの言葉を言われると、複雑な気持ちである。

さらにもうひとつ、「推測」ということもバリエーションに加わってきた。空を飛ぶヘリコプターを見つけると「どこにいくのかなあ」。生垣をのぞいては「ダンゴムシ、ねんねしてるのかなあ」などと、物事を推測する想像力のようなものが生まれてきているのだ。

極めつけはライブ本番の翌日に言われた「父さん、疲れちゃったのかなあ」である。
確かに疲れ果ててはいたけれど、子どもに面と向かってそう言われると、自分がどのくらいヘトヘトなのかを思い知る事になる。
子どもは養育者を映す鏡のようなものだとよく言われる。子どもにとって自分は一体どんなふうに見えているのだろうかと考えると、なんとも言えない気持ちになった。子どものコミュニケーション能力が上がり、観察する力もついてくるのは掛け値なしにうれしいことだが、人の気持ちというのは複雑なものである。

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

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(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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